昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

《写真多数》中国系マッサージ、風俗店、ジューススタンド…多種多様なテナントが密集する“新橋の秘境”を探訪してみた

『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』より

2021/07/10

source : ノンフィクション出版

genre : ビジネス, ライフスタイル, 働き方, 社会, 経済

 新橋を代表するモニュメントといえば、駅前広場に置かれたSLが有名だが、そのすぐそばにある新橋駅前ビル、ニュー新橋ビルも、街の歴史を語るうえで欠かすことのできないランドマークだ。

 ライターの村岡俊也氏は、再開発計画によって建て替えが決まっている両ビルを取材し、『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』(文藝春秋)を上梓した。ここでは戦後の闇市から脈々と続くカオスの全貌と妙味溢れる人間模様に迫った同書の一部を抜粋。ビル内に店舗を構えるマッサージ店、風俗店、ジューススタンドの関係者が語る言葉とは……。

◆◆◆

なぜ中国系マッサージが乱立したのか

 ゲームセンターが次々と閉店していった80年代から90年代にかけては、マーケット時代からの事業者が老齢化に伴って引退する時期とも重なっている。2階の跡継ぎのいないオーナーたちが、所有する区画を次第に賃貸に出すようになっていった。

 富成さん(編集部注:ニュー新橋ビル内で不動産店を営む男性)は、オーナーや商店会の意向を汲み、できるだけ空いたテナントに飲食業者を入れようと尽力したという。一時はカレー店や韓国料理店などが入居したが、どれも長続きしなかった。

 再びシャッターが下ろされ始めた2階を蘇らせるようにして増えていったのが、中国人が経営するマッサージ店だった。

 当初は「マッサージ以外の職種に貸して欲しい」という意向を持っていた区分所有者たちも、管理費の支払いがあるために、相場よりも家賃を少し高く設定したり、日本人の保証人をつけるという条件を課したりして、次第に中国系のマッサージ店へも貸し出すようになっていく。

 先鞭をつけたのは、ビル内の日本人が経営するマッサージ店で働いていた中国人女性が、独立して開いた店舗だった。その店が軌道に乗ると、彼女は本国や日本に住む同胞を呼び寄せ、次々と新しい店を開いていく。その繁盛ぶりを聞きつけて、また別の中国人が出店する。そうやって、現在のようなフロアの半分近くを占めるマッサージ街は築かれていった。

フロアの大部分を占める中国人系マッサージ店 ©平松市聖

話を聞きたいと相談すると…

「2003年(平成15年)くらいから、本格的にバーっと広がっていったんです。昔からある日本人のマッサージ店の社長からは『お前が紹介したから、ここはおかしくなった』って言われてますけどね。今ではいくつか中国系マッサージ店のグループがあるから、できるだけ店同士で喧嘩しないように離れた場所を紹介するんですけど、仲介業者はうちだけじゃないから、空いている区画にどんどん入ってくるんです。ただ、区分所有の方々も再開発を見据えて、持っていた方がいいだろうという損得勘定が働いているから、相続の問題がない限りは売らないですね。だから現在のマッサージ店も、ほとんどが賃貸ですよ」

 パイオニアの中国人女性が経営する店のグループは、現在20店舗近くにまで増えている。だが、サービスにも値段にもほとんど差のないマッサージ店がこれだけ密集していて売り上げが立つのだろうか? 

 マッサージ嬢から経営者となったその中国人女性に話を聞きたいと富成さんに相談すると、「旦那さんが毎日来ているから、すぐに捕まえられるんじゃないかな」と教えてくれた。

 後日、散髪に通っている〈ニュー新橋バーバー〉の理容師、塩田道治さんにも話してみると、同じように「すぐに見つかると思うけどな」と、4軒ほど離れた店で顔見知りのマッサージ嬢に「社長、連絡取れる?」と声をかけ、その男性を呼び出してくれた。