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宗教施設の由来

 この「乾徳道場」には、その後も何度か足を運んでいるが、2人に会えたのはたったの2回だけだった。2010年に会って以降は、何度出向いても誰もいなかった。どうやら、すでに立ち退いてしまったようだった。初めて取材した時にはすでにお年寄りだったので、樹海で生活を続けるのはつらいだろうと思う。

 建物を改めて見ると、本当にかなりしっかりと建てられている。そもそも、なぜここに道場を建てようと思ったのか? その理由は、もともとここに施設があったことによるらしい。

 かなり古いお墓が、建物の周りにいくつも並んでいるわけだから、ここに参拝する人がいたのは確かだ。ではなぜここをそういう場所にしたのか? それはおそらく洞窟があるからだ。

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 初めて行った時はフタがされていたので気づかなかったが、洞窟があるのだ。よく見ると『精進御穴日洞』と白いプレートがついている。樹海で発見された洞窟には名前がついていることが多い。

 以前来た時に、おじいさんに言われたことがある。

「この洞窟では昔の修行僧が行を行い即身仏になったんだ」

 即身仏ということは、穴の奥には僧侶の亡骸があるということだろうか? そう思い、懐中電灯を片手に穴に潜ってみた。

こんなに狭くて暗い場所で修行を?

 樹海は溶岩の上にできている森である。洞窟は溶岩洞と呼ばれる種類のものだ。

 入り口の急な坂を降りる。もちろん真っ暗だ。懐中電灯で照らすと、想像よりずっと広かった。奥に進むにつれて天井が低くなってくる。中腰にならないと進めない。

 溶岩なので、表面はゴツゴツとおろし金のように尖っている。頭がゴリッと擦れると、ひどく痛い。だからといって、膝をつくとそれもまた痛い。関節に強い負担を強いながら、なんとか前に進んでいく。ちょっと閉所恐怖症&暗所恐怖症の人は入れない場所だ。

 洞窟の中は寒い。冬だったのでツララができている。まるでアクションゲームのトラップのようで危ない。紫色の木の実のような物がいくつかぶら下がっている。なんだろう? と思って近くに寄って見てみると、コウモリだった。冬眠しているようだ。表面はしずくでビチョビチョだが、ゆっくり静かに呼吸している。この体勢のまま春が来て暖かくなるのを待っているのだ。ある意味、修行僧より過酷である。

 姿勢がきつくて腰が爆発しそうだが、それでも頑張って進んでいくと、石碑が出てきた。お墓かと思ったがどうやら違うらしい。

 表面に赤い文字が彫られている。なんとか読める部分を書き出すと、

庄司 50日行 1000人供●

御胎内開山大先達誓行徳山●

神前●之富士門金佐伸

洞窟の碑 写真=村田らむ

 はっきりとは分からないが、どうやら洞窟の中で50日間の“行”をしたようだ。

 こんな狭くて暗い場所に50日もいたのか、と想像するだけでゾッとする。怖くなってきてしまい慌てて外に出た。

祠のような建物も 写真=村田らむ

 どうやら、本当にここで修行をした人はいたようだ。乾徳道場が建つ前から、お寺的な建造物があり、修行がなされていたのかもしれない。

 ただ、もう今となっては確認する手段はない。

【悩みを抱えた時の相談窓口】

「日本いのちの電話」
▽ナビダイヤル「0570-783-556」午前10時~午後10時
▽フリーダイヤル「0120-783-556」
毎日:午後4時~午後9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時
東京自殺防止センター(電話相談可能) https://www.befrienders-jpn.org

【続きを読む】VHS、ロープ、片方だけのブーツ…20年にわたる取材で見つけた樹海に残された“落し物”の実情

樹海考

村田らむ

晶文社

2018年7月24日 発売