富士山北西に広がる青木ヶ原樹海はさまざまな都市伝説が語られ、多くの人に知られているエリアだ。しかし、その内部がどのようになっているのか、詳細が語られることはほとんどない。
ここではルポライターの村田らむ氏の著書『樹海考』の一部を抜粋。20年以上にわたって樹海を訪れ続ける同氏が青木ヶ原樹海で発見した謎の宗教施設について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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宗教施設を発見
サブカル系雑誌の編集者女史と僕は、遊歩道をひたすら歩いていった。アスファルトだった道は、途中から砂利道になった。かなり坂道もある。樹海に入ったのは午前中だったが、警察を待つ間に14時を回ってしまった。樹海は日が落ちるのが早い。すでに薄暗くなってきている。
入り口から30分ほど歩いたが、宗教施設らしい建物は見当たらない。具体的な情報は、レストラン「ニューあかいけ」(編集部注:筆者が樹海を訪れる際によく訪れる精進湖近くのレストラン)のおばちゃんの証言だけなので、かなり不安になってくる。
「本当にあるのかなあ、そんな施設」
「あると信じましょう! 信じればきっとありますよ!!」
そんな不安な会話をしながら進んでいると、道が二股に分かれていた。
そして片側には、工事現場などでよく見るバリケードフェンスが建てられていた。普通なら「安全第一」と書かれたボードが掛けられている所に「乾徳道場」と書かれた木の板が掛けられていた。
「おお! あった! この先にあるみたい!!」
宗教施設がある確信を得られて心底ホッとする。そこからさらに10分以上進んでいくと、急に道が開けて人工物が出てきた。
新興宗教施設というから、怪しげなDIY感あふれる建造物が出てくるかと思っていたら、プレハブの倉庫みたいな建物だった。
その建物を横目に、さらに奥に進んでいくと母屋が現れた。こちらは木造の建物だったが、予想以上にしっかりと造られていた。
建物の前には鍾乳洞があり、その入り口にはお供え物が置かれていた。鍾乳洞の上には、お墓が並んでいる。時代はまちまちだったが、崩れて字が読めなくなったかなり古い墓もあった。この施設ができるよりもずっと昔から建っていたようだ。
建物には紙が貼られていた。
祈りの言葉
実在者(おおがみさま)の御心が此の世に
顕れますように
一、神(諸法実相)の国が開かれますように
一、凡ての人が神(諸法実相)に蘇りますように
「わ~、これはいかにも新興宗教だわ……」
編集さんと2人でしばし固まったが、このまま軒先で躊躇していても始まらない。引き戸をノックした。
しばらくして鍵を開ける音がして、ドアがガラガラと開いた。