小池知事には、政治を通じてこの社会を良くしたいという具体的な目標がまったくない(行政の世界で、満員電車ゼロを具体的な目標とは言わない)。あるのは、自身の政治家としての価値の飽くなき肥大化だけである。つまり、のし上がることが自己目的化してしまっているのだ。
のし上がるためなら使えるモノは何でも利用する、これが小池知事の流儀である。過去5年間を振り返れば、築地市場しかり、使い捨てられた女性管理職しかり、都民ファーストの会しかり。大小様々な屍が彼女の後ろに積み上げられている。そして都庁そのものもまた、小池知事に食い尽くされつつあるのである。
すべては「百合子のために」
都庁職員は、曲がりなりにも「都民のために」働いている。それがいつのまにか「百合子のために」にすり替えられ、渋々働かされる状況に追い込まれている。だからこそ、職員は死にそうになり、モチベーションはダダ下がりなのである。
ワクチンの大規模接種会場を巡るドタバタが良い例だ。当初、小池知事は国からの呼びかけにノーと突き返した。もし「都民のため」と考えるなら、都として大規模接種の青写真を準備してしかるべきだ。しかし、小池知事の頭には、国との対立軸を演出して自分を目立たせることしかなかった。
ところが、他の自治体が次々と手を挙げるに至り、突如として方針転換、唐突にも築地市場跡地を会場とすると発表した。当然、担当部署は何一つ聞かされていない。さらに、7月以降は代々木公園内のライブサイト会場を転用すると言い出す始末。これまた職員は寝耳に水だ。代々木公園の一件は、会場整備のために貴重な樹木が剪定されることへの批判をかわす意味合いが隠されていたのは明白である。
無意味なマスコミ受けに右往左往
「百合子のために」は、これだけでは終わらない。次は、都庁第一本庁舎45階の展望室でワクチン接種を実施すると小池知事が得意げに公表。なぜ展望室? 都職員の誰もが首をかしげた。45階には専用エレベーターで行くしかない。密な空間で気圧の変化も生じる。果たして接種会場に適しているのか。マスコミ受けを狙った場所の設定であることを疑わない職員は一人もいなかった。