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「自宅にSMAPが勢揃い」「レギュラー12本で移動はヘリ」芸人・森脇健児が明かした“バブル期バラエティ”の栄光と挫折

森脇健児インタビュー#1

2021/07/17
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「吉田栄作さんに影響されて…」

――『夢がMORIMORI』のメインコーナー「スーパーキックベース」は子供たちの間で流行しました。後のスポーツバラエティの流れを作ったようにも感じます。

森脇 駆け出しのSMAPが一緒だったこともあって、スポーツを入れようとなったんだと思います。僕も学生時代は陸上競技をやってましたし。今振り返ると、男の子も女の子もできるスポーツだし、「授業にこういうのがあったらいいよね」とスタッフから提案されたんですよね。

――同番組では、森脇さんがプロボクシングのライセンス取得に挑戦したことも話題となりました。当時、バラエティ番組としては異例の企画でしたよね。

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森脇 これにはきっかけがあったんです。「GATSBY」のCMで吉田栄作さんと海外ロケに行ったときに、彼の身体がムキムキでビックリしたんです。「どれだけ僕はサボってたんだろう」と反省して、帰国してすぐにボクシングジムに向かいました。1年ぐらい通った頃に、ちょっと体付きがきれいになってきて、スタッフから「プロテスト受けるんだったら番組で追い掛けますよ」と言われたことで企画が持ち上がったんです。

 それまでの週2回だったジム通いが、元WBA世界ジュニアウェルター級王者の平仲(信明)さんに教えてもらった半年間は、ほぼ毎日。本格的なスパーリングをはじめ、練習内容がどんどん変わっていきました。当時、すでに(片岡)鶴太郎さんもボクシングやっていましたけど、まだ若い25、26歳の僕みたいなタレントがそういう挑戦したことで少し話題になったのかもしれないですね。

「僕らはゴリゴリのバラエティでは太刀打ちできない」

――半年間のボクシング企画はなかなか過酷ですよね。

森脇 あの企画は『夢MORI』が始まってしばらくして、20代後半に差し掛かるタイミングでした。僕自身もタレントとして下降気味だと肌感覚でわかってきた頃。「ここで何かに無我夢中になって自分を追い込まないと、芸能界の居場所はなくなる」と感じていたんです。それで、ボクシング企画を受けることにしました。

 プロテストに受かれば、芸能界における自分のポジションが変わるかもしれない。そう考えていた時点で、ピークが過ぎていたんでしょうね。その頃は、まだレギュラーの仕事はあったんですよ。ただ、自分の感覚としては終わっていた。だから、汗かいて、ベソかいて、恥かいて、ボロボロになって……そういうのをテレビで見せないと、って感じたんだと思います。お正月もクリスマスもゴールデンウイークもお盆も、ずっとボクシングジムに行ってサンドバッグ打っていましたね。

プロボクシングライセンス取得テストを受けた頃の森脇健児さん(1995年9月4日)

――その真剣さは当時のバラエティの見せ方としては異例で、後に人気番組となった『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系、1996~2018年)の岡村隆史さん「オファーシリーズ」のような挑戦企画の先駆けだった気もします。

森脇 『夢MORI』は、そういう新しいことをやらなければいけないっていう意識があったんでしょうね。当時、山田邦子さん、ダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさんっていう錚々たるタレントの冠番組があった中で、僕らはゴリゴリのバラエティでは太刀打ちできない。森口さんとSMAPと僕で、「何か新しい方向からやれないか」とスタッフさんが考えてくれた結果だと思います。それが『めちゃイケ』のひな型になったかどうかはわかりません(笑)。ただ、後に『めちゃイケ』(当時は『とぶくすり』)のレギュラーになる、ナイナイやよゐこが、早い段階でスーパーキックベースに出演してくれたのは覚えています。