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堀内 サラリーマンとして経済社会を生きていた昔の私も、まさに同じ疎外感を感じていました。

社会や地球環境を維持するには相互扶助が必要

斎藤 私たちの人生の時間の多くは労働にあてられるので、労働が疎外されていれば、幸せになれないのはいわば当然です。でも、こうした競争システムは人間の本性だから、仕方がないと割り切らなくてはならないのでしょうか。その問いに答えてくれるのが『相互扶助論』(ピョートル・クロポトキン著)です。競争によって自然淘汰されて人間が生き延びてきたというダーウィン的な理解は間違っていて、むしろ自然の脅威を前にして人間はお互いに助け合って進化してきた、とこの本は、主張しています。人間の本質には、相互扶助が間違いなくあるというわけです。

 ところが、資本主義社会、とりわけ新自由主義がいまだに猛威をふるう世界では、過当な競争ばかりがもてはやされています。クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです。事実コロナ禍でも明らかとなっているように、社会や地球環境を維持していくには、相互扶助が絶対に必要です。

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エリート職に多い“ブルシット・ジョブ”

斎藤 労働の疎外との関連で、3冊目に挙げたいのは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー著)。昨年亡くなった文化人類学者の著作で、世界的なベストセラーになっていますが、これはマルクスの疎外論を現代に蘇らせたといってもいいでしょう。

堀内 ブルシット・ジョブとは、ホワイトカラーによくある意味のない仕事のことですね。弁護士、コンサルタント、広告代理店など高給なエリート職に多いそうです。今振り返ってみると、私の仕事も銀行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした。でも、頑張ってエリートコースに乗るためには、意味のないことを承知で取り組まなければならなかったのです。

堀内勉さん

重要な仕事なのに軽視されている「ケア労働」「ケア階級」

斎藤 グレーバーは、そんなブルシット・ジョブと対比して、エッセンシャルワーカーが担う「ケア労働」「ケア階級」を重視しています。そして、介護や看護、教育や清掃、バスや鉄道の運転手などのケア労働は、われわれの社会を支えている重要な仕事なのに、報酬も社会的地位も低いことを指摘します。私自身も、コロナ禍のもとエッセンシャルワーカーの方々に過剰な負荷をかけているのを心苦しく思っています。

 この問題とつながるのが、『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(ジョアン・C・トロント著)です。これまでは、男性中心の製造業や金融が高く評価され、ケア労働は女性に押しつけられてきましたが、ケアこそが人間の本質的な活動であり、社会の中心に据えられるべきである、とこの本は訴えています。ちょうど私自身もコロナ禍で子育てをしながら、その負担をしばしばパートナーに押し付けてきたという自覚と反省を深めました。

 それ以外にも、健全な民主主義が機能するためには、ケアが必要というトロントの視点が重要です。民主主義とは他者を論破し、支配するものではなく、意見の違う他者の存在を尊重し、様々な困難を抱えている人々の問題解決に共に取り組むことだからです。