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「野球にも楽天にも興味なかったんだけど…」女川のおじさんとイーグルスの復興物語

文春野球コラム フレッシュオールスター2021

2021/07/15
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※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2021」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】けん(けん) 東北楽天ゴールデンイーグルス 25歳。MyHEROは高校と大学の先輩である戸村健次さん。日本とイギリスの二カ国で政治を学び、現在は永田町に身を置いている。いずれは選挙に出馬するという説も。趣味は学生時代から続けているテニス。絵がとてつもなく下手。

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 宮城県女川町。三陸海岸沿いの小さな町に、親戚のおじさんが暮らしていた。水産・養殖業を営んでいたおじさん。昼間は寡黙なのに、酒が入ると途端にフランクになるおじさん。浦霞とか一ノ蔵とかが好きだったっけ。新鮮なホヤにマツカワの刺身。今でも僕がこよなく愛する東北の海の味は、みんなおじさんに叩き込まれたものだ。

 おじさんには子どもがいなかった。そのせいか、僕が遊びに行くたびに、おじさんは我が子同然のように、僕のことを可愛がってくれた。時には女川を出て、石巻で海水浴をしたり、松島を船で遊覧したりもした。僕にとって三陸海岸は、おじさんとの楽しい思い出が詰まった場所だった。

 それが180度変わってしまったのが、2011年3月11日。

 三陸海岸は巨大な津波に襲われ、甚大な被害を受けた。僕は関東にいて、次々と流れてくる恐ろしいニュースを眺めていた。

 女川における被害の甚大さを示すデータがある。当時の人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827人。住家総数4411棟のうち、全壊が2924棟。人口の8%と住家の66%が、一瞬にして失われたのである。

 おじさんは一命こそとりとめたものの、住家や仕事場・商売道具は全て津波に流されてしまった。水産・養殖に人生を捧げていたおじさん。避難所での生活を余儀なくされ、電話越しの声からも憔悴しきっていることが容易に想像できた。

「避難所のみんなで嶋のスピーチを見て、好きになっちまったよ」

 そんなおじさんの声色が、ある日を境に急に変わった。2011年4月8日。震災からひと月が経とうとしていた日のことである。

 何か良いことでもあったのかと聞くと、思わぬ返事が返ってきた。

「岩隈と鉄平が避難所に来てくれたんだ!」

 おじさんは野球には興味がなかったはずだ。というか、趣味らしい趣味は持ち合わせていなかった。趣味を聞いたら真顔で養殖だと答えそうなくらい、とにかく仕事一筋の男だった。そんなはずのおじさんが、なぜイーグルスの選手の訪問にここまで心を躍らせているのか、僕にはわからなかった。

「野球、好きだったっけ?」

 こう尋ねた僕に対して、

「全然興味なかったんだけど、避難所のみんなで嶋のスピーチを見て、好きになっちまったよ」

 と答えたおじさん。

「野球にも楽天にも興味なかったんだけど、なぜかわーっと涙が出て。それと同時に力も湧いてきて。『底力』。良い言葉だよな」

 なんでも、避難所に設置された大きなテレビで、嶋の「底力」スピーチが繰り返し流されており、すっかり虜になってしまったのだという。

 ご存知の方も多いだろうが、当該スピーチの一部を抜粋しておく。

今、スポーツの域を超えた「野球の真価」が問われています。
見せましょう、野球の底力を。
見せましょう、野球選手の底力を。
見せましょう、野球ファンの底力を。
共に頑張ろう東北!
支え合おうニッポン!
僕たちも野球の底力を信じて、精いっぱいプレーします。被災地のために、ご協力をお願いします。

 嶋のスピーチをきっかけにイーグルスファンになりかけていたところ、ナインが発災以来約1カ月ぶりに仙台入り。その足で宮城県内各地の被災地に赴き、支援活動を行った。その行き先の一つが、おじさんの暮らす女川の避難所だったようだ。

 サインを書き込んだパネルを贈呈したり、自分の野球道具をプレゼントしたり、サイン会や写真撮影会を開いたり、じゃんけんゲームで楽しんだり、選手たちは工夫を凝らして被災者を元気づけてくれたそうである。

 宮城県民の中には、震災直後のこうした取り組みをきっかけに、イーグルスファンになった方も多い。もちろん震災以前からの地域密着の土台があったればこそではあるが、笑い声も活力も失われ、寒さと不安に震えていた震災直後の宮城で、イーグルスが希望の星として光り輝いていたことは間違いない。

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