そして、震災から3シーズン目の2013年。イーグルスは見事日本一の座に輝き、チャンピオンフラッグを東北の空になびかせた。
球団創設9年目での日本一。それも、当初は他所の球団に必要とされなかった選手の寄せ集め集団。最初の数年は全く勝てなかったチームがわずか9年でもたらした歓喜は、まさしく「野球の底力」「東北の底力」の賜物だったように思う。
あの夜、マウンド付近で突き上げられた拳、スタンドで沸いた大歓声、球場外の各地で握りしめられた無数の両手。僕は日本一を決めたゲームを、南三陸町のパブリックビューイングで見ていたが、あの瞬間は一生忘れることはないだろう。
そして僕は、あの景色をもう一度見たい。もちろん、長らくプロ野球チームのなかった東北にイーグルスがあるだけで、それは素晴らしいことだ。しかし、優勝すると地域の盛り上がりも段違いになるのだということを、我々は8年前にこれでもかと体感した。なんとしても、あの熱気をもう一度味わいたい。
震災を機にガラッと変わった今の女川の町
震災から10年目となる今年。女川の復興も着実に前進している。駅の近くにはモダンなデザインの商業施設が並び、海の幸を提供する飲食店もズラリと並んでいる。レンガ道の行きつく先には紺碧の女川湾が広がり、元日にはそこから初日の出を拝むことができる。
8年前の日本一の時は、女川はまだまだ仮設住宅だらけだった。今の新しい駅舎も、駅に併設された『女川温泉ゆぽっぽ』も、町中の商業施設が集約された『シーパルピア女川』も、当時はまだなかった。震災を機にガラッと変わった今の女川の町は、イーグルスが再び日本一に輝いたらどのような表情を見せるのか。今から楽しみで仕方がない。
交流戦が終わり、リーグ戦再開後最初のカードとなった対オリックス3連戦は、「がんばろう東北シリーズ」として開催された。様々な催しが企画されたが、その一環として、監督・コーチ・選手が着用するキャップに、岩手・宮城・福島の沿岸部および避難区域の42市町村名の入ったワッペンがつけられた。
42市町村の中で、女川のワッペンをつけていたのは早川隆久投手であった。今季は1年目ながらリーグトップの7勝をマーク(6月20日現在)。田中将大が2勝、岸孝之が3勝と大先輩が思ったように白星を積み上げられていない中で、まさにチームを引っ張る大車輪の活躍を見せてくれている。女川を背負って投げた先日のゲームも、打線の援護に恵まれない中で、しっかりとゲームを作っていた。
女川はあえて港に堤防を作らず、震災以前と同様に「海と生きること」を選択した。その代わりに、津波が来たらすぐに高台に逃げられる街づくりを進めている。これは一つのモデルケースになっており、沿岸の被災自治体の中でも、女川に追随するところが出てきている。
人口わずか6200人の小さな港町が復興をリードする姿と、大卒1年目のルーキーピッチャーがチームを引っ張る姿がどこか重なって見えるのは、僕だけだろうか。
震災からの復興とイーグルスの日本一。東北の2つの悲願に向けて、女川と早川のこれからに、是非注目していただきたい。
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