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2021/07/21

──現在は、SNSなどを通じて似たような価値観同士の人がつながることが容易になっています。一方で、「リアルな」しかも「シュラバ」を共有できたことでしか得られなかったものがあったとすると、それはどんなことでしょうか。

笹生 SNSでもリアルでも、それぞれ一長一短と思いますが、生の会話なら受け止められ方に勘違いがあっても「そういう意味じゃなくて」と、すぐ直せるのはいいですね。シュラバを共にしたことは、まさに「戦友」という言葉しか浮かばない(笑)。

──アシスタント仲間に、嫉妬心や絶望感など、ネガティブな感情が湧くことはありましたか。

笹生 嫉妬の感情って、自負心があるから生まれるんだと思います。だから嫉妬心を持つ人はネガティブというよりパワフルなのかも。それは悪いことではないと思うのです。パワフルなのは自分に絶望してないってことですから。私の場合は「あ~このネームじゃだめだ」とか「こんなデッサンじゃだめだ」と絶望しがちであまり自負心は持てず、嫉妬の感情は湧きませんでした。

 ただ、みんなはアシをやりながら自分の作品制作もできてるのに、私は自分の作品が全然描けないという、パワーを失っていた期間が長くありました。そんなネガティブ状態から脱出できたのは、ある程度は諦めることだ、と思えるようになったんだろうなあ、と自分で思います。

わたしが漫画家を辞めた理由

──笹生さんは2人目のお子さんご出産を機に引退されています。やっとなれた漫画家を、「辞める」という選択をされたのはなぜですか。

笹生 1人目が生まれてから必死で描いてた時期は、ベビーシッターやアシさん、時には実母や義母、たくさんの人の手を借りてたんです。子ども1人でもそんなに大変だったのに、2人目が生まれるともう無理。でもいつか、子どもたちが大きくなったらまた描こう、と思ってはいました。

 

 なのに辞めてもいいかなという気持ちに傾いたのは、夫の新田たつおが漫画家としては正反対のタイプだったせいかな。いつも締切より早く仕上げてしまう人で。独身の頃ですが、もともと私は描くのが遅すぎて、仕事を断ることが多かったんです。ある時反省して仕事を断らず、月刊連載しながら読切も定期的にやった時期もありました。そしたらもう、とんでもなく絵が荒れて荒れて……。

 私の画力や技術は、人より多くの時間を必要とするんだとわかりました。