パラ陸上の世界で数多くの種目・大会で表彰台に上ってきた山本篤選手。特に走り幅跳びでは、北京とリオで銀メダルを獲り、東京でも金メダル候補だ。
そして日本のパラスポーツ界では未だ数少ないプロ選手の草分けでもある。年俸1500万円を誇り、アスリート界屈指のスタイリッシュな出で立ちでメディアの注目を浴びる。
同時に義肢装具士の資格を持ち、更には博士課程まで在籍した経験から「走る研究者」とも称される。
彼は一体何者なのか? 前編では、お金と外見への強いこだわりなどについてユニークなエピソードを交えて語った。(前後編の前編/後編を読む)
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海外に遠征したくて、英文のメールを「片っ端から」送った過去
――よろしくお願いします。山本選手がしばしば「異色の存在」と紹介されるのは多岐に渡る理由があると思いますが、その一つにアスリート雇用からプロに転向し、プロのパラ選手という道を開いたことがありますね。
山本 はい。社員として雇用される選手の場合、身分の保証がある反面、半日か終日かの程度差はあれ、会社の仕事をするわけです。
プロがそれと大きく違うのは、雇用されてないため、スポンサー探しも含め自分で色々やる必要がある、といった点。また、社業がないぶん使える時間が増えるので、競技はもちろん、次世代育成のためのイベント等にも出やすくなりました。僕の場合は競技・イベント・講演等からお金を得ています。
――自身のプロ転向をどう捉えていますか?
山本 当時オリンピアンもプロになる人が多い時期だったので、パラリンピアンもプロとしてご飯を食べていけると示したかったんです。それまでパラでプロ転向を大きく取り上げられたのはテニスの国枝慎吾選手ぐらいでした。
――それ以前にも、ご自身で「大会に招待してくれ」というメールを英文で書いて片っ端から送られたそうですね。
山本 まだ会社にいた頃、経費で行ける海外遠征はさほど多くなかったんです。それでも行きたい。だから可能な方法を考えました。
僕はその時既にメダリストだったのもあり「出場意欲を大会の主催者に伝えたら、もしかしたら何か援助があるかも」と思ったんです。
様々なケースがあるので、主催者に条件面の質問を色々とするわけです。すると「飛行機代はある程度出ます」「飛行機代は出ないけど宿泊費は出せます」「パフォーマンスに応じて賞金が稼げますよ」といった情報をもらえたりする。