パラ陸上の世界で数多くの種目・大会で表彰台に上ってきた山本篤選手。特に走り幅跳びでは、北京とリオで銀メダルを獲り、東京でも金メダル候補だ。
そして日本のパラスポーツ界では未だ数少ないプロ選手の草分けでもある。年俸1500万円を誇り、アスリート界屈指のスタイリッシュな出で立ちでメディアの注目を浴びる。
同時に義肢装具士の資格を持ち、更には博士課程まで在籍した経験から「走る研究者」とも称される山本選手。『大腿切断者の疾走動作と関節トルク』という論文を執筆するなど、何事もロジカルに分析することで血肉としてきた。
その問題意識は義足や競技だけでなく、社会の中のパラスポーツ・パラリンピックの在り方にも向けられる。(前後編の後編/前編から読む)
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新聞の「社会面」に載るのが嫌だった
――パラ選手が新聞の取材を受けると大抵社会面に載るというのがすごく嫌で抵抗されたそうですね。
山本 「スポーツをやっているのになんで? スポーツ面に載せてよ」と。社会面が嫌というより、そこでの取り上げられ方が……。
――記事に何か特有の型みたいなものがあるのでしょうか。「何歳で中途障害を負い……」とか。
山本 ええ。どうしても成績よりも、その前段にフィーチャーされてしまう。「障害を乗り越えた」とか。そこへのフォーカスはもう要らないでしょ、と思っちゃいますね。
――パラリンピックの在り方も鋭く問うてこられました。「100m徒競走という1競技の中に13個も金メダルがある。このままでいいのか」という旨も仰っていますね。
山本 今「五輪とパラリンピックは等価だ」という趨勢になってきている。それがパラ選手のモチベーションを上げることは確かですが、客観的に見て本当に同じなのか。
五輪の金は1個でパラの金は13個ある。単純に考えれば13分の1の価値なのかなと。もちろん金の価値は「1位だ」という点だけではないですけどね。五輪の金は「全世界人口分の1位」です。パラの金は「同じ障害レベル(の人数)分の1位」なんですよね。その意味では、両者の価値には何百万倍も差がある。
にも関わらず、今まで隔たっていた両者の価値が非常に近づいてきているのは物凄く幸運だと思います。
これはパラリンピックの価値を下げたくて言ってるわけではない。むしろ、僕達はそれを上手く利用して、その価値をまた更に上げていかねばならないと思っています。パラ選手にも相応の心構えが求められてくる、ということを言いたかったんです。