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侍ジャパン金メダルで考えた、僕たちが愛し、憤った“GG”とは何だったのか。13年目に気づいた答え

文春野球コラム ペナントレース2021

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「GG」は野球日本代表にとっての「ドーハの悲劇」

 令和の世において考えれば、「GG」という特定選手のミスを苛烈に責め立てる事例は、決してよろしいことではありません。新たな「GG」を生み出す世界にしてはいけないだろうと思います。ただ、それでもなお「GG」は愛おしい記憶でもあります。

 プロも参加して五輪の金を目指すことを決めたとき、その本気度は十分なものではありませんでした。もともとはアマチュア野球の目標であったということからプロ側には腰が引けた部分もありましたし、アテネ五輪では「1チームから2名ずつ」という招集の制限もかけられました。金メダルを目標として掲げてはいても、人生を変える重大事として取り組んでいたわけではなかったのでしょう。野球界は、4年間や8年間を五輪に捧げてきたわけではないのですから。

 シドニー五輪での負けはオールプロではなかったからだ。アテネ五輪での負けはオーストラリアとの相性が悪かっただけであり実質優勝だ。ほどほどの負けだったことで、言い訳をしながらやり過ごすこともできました。そんな野球日本代表に国際試合の厳しさを徹底的に叩きつけ、プライドをへし折ったのが北京五輪でした。痛恨の敗北がようやく本気を引き出しました。だからこそ野球日本代表は2009年・2013年のWBCにあれほど必死に臨み、世界一を求めたのだろうと感じます。

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「GG」が世界一に挑む気持ちを呼び起こし、

「GG」が絶対に勝たねばならないと必死にさせた。

「GG」はようやく世界一を本気で目指し始めた野球日本代表のはじまりのプレーであり、野球日本代表の青春の象徴だったのだと思います。ギラギラと情熱を燃やし、あの悔しさを忘れてはならぬと拳を握った、そういう気持ちの象徴なのだと。それはサッカーで言うところの「ドーハの悲劇」であり、1998年フランスワールドカップで全敗した日本代表が帰国時に水をかけられた事件のようなものだったのだと思います。荒々しく、失敗だらけだけれど、やけに愛おしい。「青春」そのものなのだと。

©文藝春秋

 もう繰り返してはならないと思いつつも、何度も懐かしく振り返ってしまう「GG」。「五輪の借りは五輪でしか返せない」からこそ、WBCを制しても、プレミア12を制しても、「GG」はなお忘れ得ぬ記憶として残り、いつか決着をつけたいと願う鮮烈な思い出のままで胸にありつづけました。

 しかし、2021年の東京五輪で、その借りはついに返されました。G.G.佐藤さん本人も感慨深げに「成仏できました」とまとめました。返すべき借りがなくなった今が、野球日本代表の青春の終わりなのだと感じます。意気揚々と世界に打って出て、負けて、傷ついて、借りを返した。この先、何を目標に野球日本代表は世界と戦っていけばよいのか、目標を見失った喪失感が拭えませんが、「GG」に関わった人たちが13年越しの金メダルで報われたことを今は喜ぼうと思います。

 金メダルを得た嬉しさと同じくらいの、「GG」を失った寂しさを抱いて。

 あれほど悔しい負けを得る機会はもうないだろうと、過ぎ去った夏を思いながら。

 さようなら、そしてありがとう、あの熱い夏の「GG」。

 一度きりの、大切な、「GG」。

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