コロナ禍で多くのものが奪われていくなか、埼玉西武ライオンズはかけがえのない存在を失った。2014年途中から8シーズンに渡ってプレーしてきたエルネスト・メヒアが7月26日、海外からの入国制限で家族が来日できないことを理由に退団すると発表されたのだ。
本人、球団ともに断腸の思いだったことを想像すると、ライオンズファンは心にできた虚無感を簡単には解消できないだろう。
2014年途中に加入したメヒアは、チームメイトの中村剛也と本塁打王を分け合った。楽天の“松井裕樹キラー”として劇的なアーチを何度もかけ、ヒーローインタビューでは「メヒア様々や~」と球場を沸かせた。電車通勤で知られ、西武球場前駅の改札でファンが待ち構えていた光景も懐かしい。198cm、118kgのメヒアは、ラティーノを絵に描いたような気さくな男だった。
「カラキスタ!」
筆者はいつしかそう呼ばれるようになった。ベネズエラのプロ野球チーム「レオネス・デル・カラカス」のロゴマークがついた白いポロシャツを着てメットライフドームへ取材に行くと、同国出身のメヒアが嬉しそうにそう話しかけてきたことをよく覚えている。家に帰って調べると、カラキスタはレオネス(スペイン語で「ライオンズ」の意味)に関係する人の愛称とのことだった。
NPBにはアメリカをはじめ、世界各国から外国人選手がプレーしに来ている。筆者は2013年にドミニカ共和国を訪れたことをきっかけに、ラテンアメリカの野球文化に興味を持った。写真家の龍フェルケルと一緒にオランダ領キュラソー、キューバと訪れるなか、いつか行きたいと話していたのがベネズエラだった。
ベネズエラで見つけた数少ない希望
カリブ海に浮かぶドミニカやキューバと異なり、ベネズエラは南米大陸から世界有数の野球強国として名を馳せている。南アメリカではどこもサッカーが盛んのなか、なぜ独特の文化が育まれたのだろうか。
「カリブ海諸国の一部だからだ。少年たちはいつもテレビで野球を見ている」
そう教えてくれたのがメヒアだった。筆者はベネズエラを“南米の一つの国”と捉えていたが、メヒアの言うように“カリブ海諸国”でもある。彼に限らず外国人選手と話して面白いのは、新たな視座を得られ、自分の固定観念が壊されていくからだ。
1990年代まで南米の先進国だったベネズエラは、社会主義国でありながら貧富の差が極端に激しく、今では世界ワーストレベルの犯罪率に達する。そんな地へ行くのはあまりにリスキーと考え、情勢が少し落ち着いてから行こうとしていたが、逆に危険度は高まるばかりだった。
中南米野球の取材を続ける上で、ベネズエラは避けて通れない国だった。毎年、メジャーリーグへドミニカに次ぐ数の選手を送り込んでいる。南米でこれほど色濃い野球文化を誇る国は唯一無二だ。社会情勢が年々悪化する一方、このタイミングを逃したら二度と行けなくなるのではと考え、2016年3月、筆者と龍は当地を訪れることに決めた。
今振り返っても、あれほど気を張ってすごした約2週間はない。観光客と思われると強盗や誘拐に遭うリスクがあり、街中で写真撮影はもちろん、スマホを出すのもやめたほうがいい。ショッピングモールに車を停めれば、「ここで数日前に銃による殺人事件があった」とコーディネーターが何気なく言ってくる。夜間に外出するのは強盗に遭いに行くようなものだとホテルの部屋にこもっていれば、電力不足で灯がつかない夜が続いた。
「ベネズエラは美しい国だけど、外国人は来ないほうがいい。たとえビーチで素晴らしい時間をすごしても、殺されたら元も子もないでしょ?」
ベネズエラ人の女性記者、アルタグラシア・アンゾラに当地の犯罪事情を取材しに行った際、忠告された言葉は今も脳裏に刻まれている。
現地ではどこに行くのも気を抜けないなか、唯一の例外だったのが野球場だ。メジャーリーグのアカデミーや少年野球を取材して回ると、白球を追いかける者たちの希望を感じた。ベネズエラ人にとって野球は誇りであり、人生の喜びである。国家が破綻し、まるで先行きが見通せないなか、野球場だけはどこも活気にあふれていた。