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侍ジャパン金メダルで考えた、僕たちが愛し、憤った“GG”とは何だったのか。13年目に気づいた答え

文春野球コラム ペナントレース2021

「GG」とは何だったのでしょうか。

 東京五輪での野球日本代表「侍ジャパン」の活躍を見ながら考えていました。あまりにも鮮烈で、あまりにも特別な記憶「GG」。もはや「GG」とは概念でさえあると感じます。単なるひとつやふたつのエラーの話ではなく(※正確には3つだが)、そのエラーを通じて日本野球と日本人が受け取った何らかのもの、それを指し示す概念の名前であるだろうと思います。

 改めて「GGを知らない子どもたち」に説明をすると、GGとはかつて埼玉西武ライオンズに所属していた佐藤隆彦選手の登録名「G.G.佐藤」の略称です(※蔑称ではなくて)。「T-岡田」を「T」と呼び、「C.ロナウド」を「C」と呼ぶみたいなことです(※クリスティアーノ・ロナウドをCと呼んでる人は見たことないが)。G.G.佐藤さんは2007年から2009年まで3シーズン続けてホームラン20本以上を記録するなど西武で一時代を築いた選手でした。

 そのG.G.佐藤さんが代表メンバーとして出場した2008年北京五輪。故・星野仙一氏が率いた星野ジャパンは「金メダルしかいらない」を標榜し、北京大会を最後に除外が決まっていた野球競技での金メダルを目指しました。しかし、準決勝韓国戦と、敗れて迎えた3位決定戦アメリカ戦にて、G.G.佐藤さんは「トンネル」「落球」「落球」という3つのエラーを喫し、俗に言う「戦犯」となりました。メダルを逸した悔しさと苛立ちが「GG」という忘れ得ぬ記憶を日本野球と日本人に刻みつけたのです。

G.G.佐藤 ©文藝春秋

2021年にあのエラーが起きたら、きっと「GG」は生まれなかった

 改めて「GG」と向き合うべく当時の映像を見返しました。まぁ、ヒドイものでした。準決勝韓国戦4回裏の守備での、レフト線へのヒットをトンネルで後逸したプレー。同じく準決勝韓国戦8回裏の守備での、左中間へのフライをグラブに当てて落球したプレー。そして3位決定戦アメリカ戦での、ショートの守備範囲まで出しゃばってきて落球した積極性が裏目に出たプレー。すべてが痛いエラーだったのは確かです。

 しかし、13年も言いつづけるほどのエラーではないなと思います。韓国戦でのトンネルは、エラーで出た走者が生還して1点を失いこそしましたが、まだ2-1でリードしていました。韓国戦での落球は、李承燁に逆転のホームランを許し2-4とされたあとのプレーであり、直接の決定打ではありませんでした。アメリカ戦での落球は、その後に四球・本塁打とつづいて3失点を呼び込みますが、打たれたのはG.G.佐藤さんではありませんし、その回の3失点を入れてもまだ4-4の同点でした。

 G.G.佐藤さんの落球するときの顔や落胆する様子が印象的だったというだけで、「GG」は勝負を決したプレーではありません。むしろ、ああいうミスが出たときにこそチーム全体が一丸となって奮い立つべきであり、誰かを「戦犯」としてはいけない局面でした。エラーが響いて打ち込まれるのは最終的には技量不足・精神力不足に過ぎません。上野由岐子さんなら、むしろああしたエラーのあとこそ奮い立ったでしょう。あの局面を立て直すことができない日本代表の個々のメンバーと、チーム全体としてのメンタリティがそもそも弱かったのです。その弱さの発露が「GG」だったというだけのこと。

 2021年の東京五輪ではこうしたプレーが起きたときに、まったく異なる動きが起きています。陸上4×100メートルリレーでバトンミスが起きたとき、メンバーである桐生祥秀さんはすぐさまチームメンバーを抱き起こすと、直後のインタビューで「攻めた結果です」と言い切りました。並行してSNSなどでは経験者・有識者がいかにしてこのミスが生まれたかの背景と狙いを説明し、「ミスを責めない」ようにと声をあげました。メディアでの報道もミスそのものよりも、その背景に視線を向けました。

 フェンシング男子フルーレ団体の準決勝で、出場選手のひとりが13ポイント差をつけられて大きく負け越した際、それを「戦犯」としてあげつらう声が生まれました。しかし、そうした声に対して、元選手で現在は国際連盟の副会長をつとめる太田雄貴さんは「特定の選手への誹謗中傷が鳴り止まない」「言葉の暴力は許されるものではありません」「こんな時こそ、温かい言葉や、メッセージをかけてあげて下さい」とSNSを通じ毅然として訴えました。

 試合の一部であるミスを殊更に非難するような動きを、選手・関係者側から積極的に抑止することが当たり前となってきたのです。「●●選手のミスが響いて日本は敗れました」という総括より早く、「ミスは試合においてあり得ることなので責めずに、その反省を次に活かしていく」という発信が行なわれるのが当たり前となったのです。やる側はもとより、見る側・伝える側にもそうした意識が広まりつつある今ならば、「GG」もまったく異なる受け止められ方となったでしょう。

 もし、北京五輪が今この令和の時代に再現されたなら、予選リーグを通じてメダル獲得国には一度も勝てない「力負けだった」という当たり前の分析以上に「GG」だけが独り歩きし、13年間も鮮烈な記憶として語られるようなことはなかったはずです。令和の世に新たな「GG」が生まれることはもうないだろう、そう思います。