見て見ぬフリをする担任には相談できなかった
和威さんが、いじめについて家族だけでなく、担任ら学校側にも被害を話していない。それは担任の態度が一因としてある。そのことを高裁での意見陳述で述べている。
「担任の先生は私が暴力を受けている時も、見て見ぬフリをしていました。そんな先生に相談することはできません。いじめに苦しむ人は、その場をしのぐことで精一杯で、どこに助けを求めればよいのかわかりません。また『相談すれば、必ず救ってくれる』という確信が持てず、声をあげることはできません」
しかも、いじめ発覚後、2年生の担任は、一見、味方のような関わりをしたが、裏切られたという。
「2年生の担任は『俺が助けてやる。一生付き合うから』と私を抱きしめて言いました。何度も家庭訪問に来てくださり、親身になって話を聞いてくださいました。本当に心強かったです……(中略)……先生の態度が1学期の終わり頃から変わってきました。私と二人だけの時に、母や家族に対する不満はないかと何度も聞くのです。私は先生の態度に違和感と不信感を抱くようになりました」(同意見陳述)
「佐藤和威を取り戻す」ために
ちなみに、判決後の会見では、和威さんはこうも発言していた。
「僕自身、間違ったことをまったく言っていないし、嘘をついているわけでもないので、事実を認めてもらい、少しずつですが、前に進めたらいいと思っています。今回のこのような判決になりましたが、これから『佐藤和威を取り戻す』ためにも、こういった被害を少しでも減らすことにつなげるためにも、機会があれば、自分なりに声をあげていきたい」
また、苦しむ和威さんを近くで見続けてきた妹も意見を表明した。
「いじめの被害について、“私はこうして乗り越えた”という表現はおかしいと思っています。いじめ被害にあった本人が“乗り越えるべきもの”でも、“打ち勝つもの”でもないと、兄を見ていて思います。体に受けた暴力、暴行の傷は時間の経過とともに消え、和らいでいくと思われますが、体の表面に見える暴力の跡は、見えない痛みとして、体の中に染み込んで歪み、沈んでいくのだと感じました。時間をかけて、ようやくカサブタになっても、些細なきっかけですぐにはがれ、大量の出血と痛みをともない、体に受けた暴行の傷と、心の傷はいつまでも残り続けます。
兄が法廷に立てるのは、“回復して立てるようになった”わけではなく、自分のためだけではなく、声をあげられなかった当時の自分と、同じような立場の人の支えになれたらとの思いからです。裁判に臨んだのはいじめを認めてほしかったからです。兄が今、生きているからこそできることです」
裁判は、和威さんにとって「佐藤和威を取り戻す」ためでもあり、「人生を取り戻す第一歩」になる判決を想定していたが、司法の壁は高かった。今後は、最高裁への上告を検討することになる。
写真=渋井哲也