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2021/07/17

――どの作品からも、人間とは何か、人間の営みとは何かへの興味を感じます。

佐藤 『QJKJQ』では、人はなぜ人を殺したいのかという問いに、鏡というものを使って答え、『Ank : a mirroring ape』では自己鏡像認識が暴力の連鎖を生むことを書き、今回は、人間の本質を黒い鏡に託して書きました。『QJKJQ』は鏡像反転を表したタイトルだし、『Ank』でチンパンジーの名前の由来になった言葉は古代エジプト語で“鏡”、『テスカトリポカ』は“煙を吐く鏡”の意味で、一応、僕の中では鏡三部作の完結篇として位置付けています。

 特に今回描きたかったのは、分身について。ルネ・ジラールの『世の初めから隠されていること』という哲学書では、人身供犠について考察されているんですね。そこに鏡という構造の話が出てくる。基本的に、争うのは分身同士だっていうんです。

 例えば、ボクシングの世界チャンピオンは棒高跳びの選手とは競わず、ボクサー同士で闘いますよね。人間は自分と似ていない相手とは競わない。鏡像になっている者、つまり分身同士が徹底的に闘うのが人間の世界なんですよ。どちらかしか生き残れないから、分身をやっつけなきゃいけない。でも世界は分身だらけで、分身をやっつけてもまた別の分身が出てきて、また闘わなくちゃいけない。だから麻薬密売人たちは徹底的に闘い続けるんです。

 ルネ・ジラールは、古来よりその争いを止めてきたものこそが人身供犠で、次元の違う誰かを血祭にあげてトランス状態を起こしてきたというんです。その説明はすごく分かりやすかったですね。考えてみればSNSの炎上も同じで、生贄を作り出そうとしているとしか思えない。

 ミシェル・フーコーは18世紀の自由主義が今の資本主義の基盤になっていると言っている。彼は「世俗化」という言い方をするんですけれど、いろんな宗教とか思想の要素が俗になったというんです。ルネ・ジラールも、分身の最も世俗化した言い方が「同業者」なんだろうって言っている。だから人は同業者に嫉妬するし、憎いし足を引っ張ろうとする。それを読んで以来僕は、簡単に「同業者」って言葉を使わないようにしています。

 

――そう聞くと、人間の営みはもう、争いと暴力から切り離せないですね。

佐藤 マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』に、印象に残っている台詞があるんです。この世には最初に戦争というものがあった、と。戦争が、自分を使ってくれる最高の存在を待ち望んでいて、そこに人間が現れた。何か大きな心の構造があって、その中で人が知らず知らずのうちに踊らされている感じがしますね。人間は人間でないものについて考えないと、ここから出られない。

 あとは、暴力とエンターテインメントにも密接な関係があるんじゃないかなと。『時計じかけのオレンジ』や北野武さんの映像作品とかもそうですが、新しい暴力のスタイルが出てきた時に、新しいエンターテインメントの形が生まれている気がするんです。

青春期に突きつけられた階級社会と、言葉の恐ろしさ

――エンターテインメントとおっしゃいましたが、佐藤さんはもともと別名義で小説を書かれていて、2004年に『サージウスの死神』で純文学系の群像新人文学賞からデビューされていますよね。その後、2016年に『QJKJQ』で江戸川乱歩賞を受賞している。小説を書くきっかけというのはどこにあったのでしょうか。

佐藤 うちは、親父が福岡のペンキ職人なんですよ。小中学校の頃から弟と一緒にペンキの現場に連れていかれていました。自分がワーキングクラスの生まれだったからこそ、本を読んだら自分にもちょっと違うライフがあるのかなと思ったのが読書を始めたきっかけです。高卒でペンキ屋になって、自分の人生はこのまま終わっていくのかという時に、労働者階級から出てきたチャールズ・ブコウスキーとかを読んで、憧れましたね。

 19歳の頃、健康商品会社の社長に運転士兼秘書みたいな感じで雇われていたんですけれど、社長が詩人の河村悟さんと知り合いだったんです。僕の親父と同じくらいの歳の方で、すごく格好よかったですね。帽子被って眼鏡かけて、トランクひとつで家もなく、日本中を転々として。そんな人いないじゃないですか。河村さんと話をするようになって、たぶん僕が「何か書きたい」と言ったんでしょうね。河村さんから「何か書いたら『群像』に出したらいいよ」って勧められたんです。

 

――そこからすぐ書き始めたんですか。

佐藤 ちゃんと書いたのは26歳になってから。若くして死んだロックスターたちを称する「27クラブ」ってありますよね。カート・コバーンもジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョプリンも、みんな27歳で死んでいる。自分も伝説になるためには26歳の今のうちに何かやっておくしかない、という焦りがあったんです、たぶん。

 ちゃんとケツまで書いたのは26歳の時の『サージウスの死神』が初めてで、何も考えずに群像新人文学賞に応募したら優秀作に選ばれました。書籍化は2005年になるのかな。福岡でやることもなくなったんで東京に出てきたんですが、そっから10年、11年くらいずっと“不良在庫”の時間が続きました。その間に、職を転々として、いい意味で訳のわからない友達もどんどん増えていったんです。