純文学でデビューした場合、数年以内に芥川賞にひっかからないと仕事がなくなるんです。原稿を書いて編集者に送っても次第にボツの連絡さえ来なくなって、関係が自然消滅していく。その時にいろいろ考えました。純文学を辞めたと自分では一言も言っていないんですが、仕事がないんで困って、方向を変えようかなとゾンビ小説を書いた。最終的に900枚になったのかな。仕事がない人間は文学賞のパーティに行かないと編集者に会えないので、企画書を持って一張羅のスーツを着て行ったんです。
僕はエンターテインメントの編集者を直接紹介してもらうつもりだったんですけれど、お酒が入ってほろ酔いの編集者に「乱歩賞に応募してみたらどうですか」って言われて。乱歩賞って、一般の人も応募する賞じゃないですか。ただ、格闘技でもアマチュアでもすげえ強い奴がいるし、それに挑戦するのは面白いかもしれないと思って。でも応募するにはゾンビ小説は尺が長すぎたので、それとは別の作品を3か月くらいで仕上げて出しました。
純文学ばかりやってきたから書き方がわからなくて苦労したけれど、それが一次を通過したんですよ。通過したら雑誌に名前が載るので、編集者の目に留まって連絡があるかなと思ったら何もない。それでまた翌年、乱歩賞に応募することにしました。どうせ俺の名前は誰も憶えていないんだからと、ペンネームも替えて。それが受賞作の『QJKJQ』です。
――『サージウスの死神』も、闇カジノにはまって精神に破綻をきたしていく男の話でしたよね。社会の底や裏側を描くという点で、今に繫がるエッセンスを感じます。
佐藤 僕は福岡大学の付属高校に行っていたけれど、大学は嫌で行かなかったんです。キャンパスライフを楽しむ同世代を横目にペンキ塗りをやって、昼休みに段ボール敷いてペンキまみれで飯食っていると、街歩く人が誰もこちらを見ない。僕らなんてただの空気なんですよ。明らかに社会に階級があるんだと感じましたね。
そういう経験の積み重ねは結構大きかった。運が良いのか悪いのか、社会の裏側と呼ばれるものはわりともう知っているから、想像力で補う必要がなかった。それで必然的に、そうした連中を書く側に回ったのかもしれません。
――佐藤さんの作品は、文章のリズム感や描写がすごく心地よいですよね。時にすごく静謐で。ご自身で文体についてどういうことを意識されていますか。
佐藤 最初に河村悟さんからいろんな作家について教わったのが大きかったですね。河村さんは若い頃、舞踏家の土方巽の飲み会に連れて行かれたりして、ダンサーとも交流があったし、三島由紀夫や澁澤龍彥がいた文芸の黄金期も知っている。その時代の香りを教わったんです。あの人たちの文章って強烈ですよね。河村さんの詩もそうですけど、言葉というものの、刃のような本質的な恐ろしさを知りました。それは運が良かった。
よく、「純文学とエンタメの違いって何ですか」って訊かれるんです。いつも「改行の回数じゃないですか」って答えるんですけれど(笑)。真面目に答えると、純文学は文体に圧縮をかけられるかどうか。エンタメはストーリーテリングに特化して、いかに疾走できるか、そういう違いなのかなと。
でもその二者は今、あまりに分断されていると僕の目には見えます。三島由紀夫とかを読むと、圧縮もかかっているけれどストーリーもジェットコースターライドなんですよね。分かりやすくいうと、格闘技とプロレスの両方、という感じ。格闘技は相手を仕留める動きしかしないんですけれど、プロレスはあえて相手をロープに逃がして展開を作って盛り上げる。自分もその両方を使っています。
あとは文体で意識するのは、朗読に耐えうるかどうか。河村さんもよく朗読していたので、自分もいつもブツブツ声に出して原稿を読んでいます。
――次はどういう作品を考えているのですか。
佐藤 「未来は白紙」と答えたいところなんですが、だいぶ前からある文芸誌に、三島由紀夫さんについて書けってオファーをもらっていて。「どれだけ最強の作家か分かってますか。三島さんについて何か書けたらこの業界引退してもいいくらいですよ」と言ったんだけれど、それでもやってくれと言われて。どうなるか全然分からないですけれど、ちょっとずつ三島さんの資料を集めています。