映画の味わい方が、野球の方法論の土台になった
個性が光っていたのはナタリー・ウッドだ。子役時代にモーリン・オハラの主演作『三十四丁目の奇蹟』に出演。17歳の時に『理由なき反抗』でジェームス・ディーンの相手役を務め、23歳で『ウエスト・サイド物語』に主演するなど、少女から成長しながら様々なタイプの女性を演じた。私の記憶では、この時代にナタリー・ウッドとライバルというか、人気を二分した女優がいたと思っていたのだが、いくつか資料を調べても見つけられない。記憶違いだったのかもしれないが、思い出したら書きたいと思う。ほかにも、『青い目の蝶々さん』で芸者を演じたシャーリー・マクレーン、「ピンク・パンサー」シリーズの『暗闇でドッキリ』に出演し、グラマラスなプロポーションが印象に残ったエルケ・ソマーなど、落ちこぼれ(でも、試合になれば活躍する)野球部員だった高校時代は、スター女優に魅かれて同じ作品を何度も観ていた。ただし、次第にこの観方が洋画を楽しむ必須になっていく。
例えば、オードリー・ヘップバーンの出演作を初めて観ると、どうしても視線は彼女に釘付けになってしまい、字幕を追うことができない。つまり、視覚は十分に満足するものの、ストーリーはまったくと言っていいほど頭に入らないのだ。そこで、2、3回観てオードリーの演技を楽しんだら、今度はしっかりと字幕を読み、どういう物語なのかを味わう。そうやって俳優の演技もストーリーも、あるいは舞台となった土地の様子やカメラワーク、バックに流れる音楽まで存分に楽しみ、そうしたすべての要素を自分なりに吸収して初めて、一本の映画作品を観たという実感が湧くようになった。何度も同じ作品を観たことの動機は、時間を潰すことだった。しかし、スクリーンの向こうの外国人女優に興味を抱いたことで、私は自分なりの映画の味わい方を作り上げたのである。しっかりと理解し、納得してから次に進む。のちに野球という仕事を極めようとする際に用いた方法論は、私が持つパーソナリティだったのかもしれないが、高校時代の映画の味わい方が土台になったと言っても間違いではないだろう。そういう意味で、オードリー・ヘップバーンが私の人生に与えた影響は少なくないと思うのである。