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字幕を追わずに映画を観られたら

 また、映画が好きになると、映画館へ足を運ぶだけではなく、テレビで放映される作品も観るようになった。だから、どの作品を映画館のスクリーンで観て、どの作品をテレビで観たのかはっきり区別はつかなくなっているが、テレビ、特に民放の場合、洋画は吹き替えで放映されることが多かった。そこで感じたのは、俳優本来の声と吹き替えの声とのギャップである。オードリー・ヘップバーンの声は『銀河鉄道999』でメーテルの声を担当した池田昌子、ジョン・ウェインの声は小林昭二が定番とされ、吹き替えでも耳に馴染んだ声もあるが、時折「この俳優はこんなイメージの声じゃないだろう」と興ざめしてしまうことがある。そんな経験をして、どんな作品でも俳優自身の声は大切なものだということにも気づかされた。場面ごとの台詞のイントネーションも含めて、その俳優の声だから伝わるものがある。それが吹き替えになってしまうと、どんなにその俳優のキャラクターを生かしたとしても、やはり同じように伝えるのは難しいはずだ。そこで、私はテレビで映画を楽しむ際にも、映画館と同様に字幕で放映してくれることの多かったNHKで観る機会が増えていった。そして、俳優の生の声も味わうとなると、なおのこと同じ作品を何度も観ることが必要だと感じた。この話題でさらに話を進めよう。選手として20年、監督として8年、プロ野球という世界で仕事をしてきて、英語を理解できなくて困ったことはない。ましてや、私が現役だった頃は日本人選手がメジャー・リーグへ移籍することもなく、プロ選手がオリンピックなどの国際大会に出場することもなかった。日本のプロ野球はドメスティックな組織だったのである。監督になった頃は、野球のグローバル化が進められている時期だった。選手や記者もことあるごとに「モチベーション」、「ポテンシャル」など会話の中で英語を使っていたが、「モチベーションは、動機づけとか意欲と言ったらいけないのか。ポテンシャルは潜在能力と言えばいいんじゃないのか」と私は考えていた。英語にアレルギーを感じているわけではないが、日本語で表現できることをわざわざ英語にすることはないだろうというわけだ。ところが、映画館のスクリーンの前に座った時だけは、ついついこう思ってしまう。

「英語に堪能だったら、洋画をもっと楽しむことができるのに」

写真はイメージです ©iStock.com

 初めて観る作品でも、字幕を追わずに映像や俳優の声をじっくり味わうことができるだろう。もっと言えば、字幕は必ずしも台詞を忠実に翻訳しているわけではない。映画関係者に聞いたところでは、字幕には13文字で2行まで、字幕1枚の表示は6秒半までといった決まりがあり、したがって台詞を忠実に翻訳するのは不可能に近いという。つまり意訳というわけだが、それも訳者の誤解などで、結果として誤訳になっていることも珍しくないらしい。そうした話を聞かされると、洋画を楽しむための英語力だけは欲しかったと、ないものねだりをしてしまうのだ。

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