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40分の列車の旅 ©杉山秀樹/文藝春秋

 ジャズの名曲『A列車で行こう』は、1939年にジャズピアニストのビリー・ストレイホーンが作曲、デューク・エリントン楽団が演奏した。1941年にレコードが発売されると大ヒットし、楽団のテーマ曲となった。音色が豪華でテンポも速く、いかにも「これから遠くへ出かけるぞ」というイメージだけれど、実は「A列車」はニューヨーク市営地下鉄の系統番号だ。日本で例えると「銀座線で行こう」「丸ノ内線で行こう」みたいなもの。ニューヨーク地下鉄A系統は、別名「八番街急行」とも呼ばれている。歌詞は、ハーレムの高級住宅街、シュガーヒルに行くならA列車に乗ろう、だ。アポロシアターで成功し、高級住宅街に住む。黒人音楽家たちの出世列車。その象徴が「A Train」かもしれない。

車窓に広がる青い海と"A"ハイボール ©杉山秀樹/文藝春秋

 熊本の「A列車」のAは、アダルトのA、天草(Amakusa)のAに由来するという。終点の三角駅の目の前には三角港があり、天草諸島の入り口だ。1日3往復の「A列車で行こう」は、天草諸島へ行く船「天草宝島ライン シークルーズ」に接続する。他に船上でランチやスイーツを楽しむクルーズシップ「エルミラ」もある。「A列車で行こう」は、熊本屈指の海洋リゾートの入り口にもなっている。「A列車で行こう」、三角駅、「天草宝島ライン シークルーズ」、「エルミラ」はすべて、数々の観光列車を手がけた水戸岡鋭治氏がデザインした。鉄路と航路のコラボレーションである。

三角港は天草諸島の入り口 ©杉山秀樹/文藝春秋

 そして「A列車で行こう」の車内BGMは、フュージョンバンド「カシオペア」の元メンバーで、現在もキーボーディストとして活躍する向谷実氏がプロデュース。向谷氏は九州新幹線や駅の発車メロディなど鉄道関連の音楽制作で有名だ。向谷氏によると「A列車で行こう」のために、演奏者も楽器も最高の環境を整えたそうだ。生演奏をハイレゾで録音した音源を制作。それをiPadで簡単に呼び出して、車内空間に合わせて整えたスピーカーで流している。バーカウンターでは車内BGMのCDを記念として買っていく人も多かった。なんとLP盤バージョンもある。音楽はこの列車の看板のようなもの。こだわりがすごい。

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バーカウンターの向かいにあるソファ ©杉山秀樹/文藝春秋

 列車の中にバーがある。常にジャズが流れている。ハイボールをあおりながら音楽を楽しむ。古い洋画にこんな場面があったかも。しかし、ここは日本だ。それも熊本県。JR九州の特急列車「A列車で行こう」の車内だ。

 乗車時間の40分はとても短く感じる。もっと乗っていたい。列車に揺られていたい。しかし列車を降りると、酒でほてった身体に風が通り抜けて心地よい。居心地のよいバーを出て、街にさまよい出る感覚に似ている。さて、船で天草へ向かおうか、その前に三角港界隈でうまい魚を食べようか……。

趣のある三角駅舎 ©杉山秀樹/文藝春秋