文春オンライン

岩井俊二「光の見方のようなものが、自分と似ていると思った」 画家・三重野慶との出会いから小説『零の晩夏』が生まれるまで

岩井俊二さん『零の晩夏』インタビュー#1

2021/07/29
note

 岩井俊二が、また新しいことに挑んだ。

『Love Letter』『スワロウテイル』『花とアリス』『ラストレター』……。

 映像作家としてのみならず、音楽家、小説家としても精力的なアウトプットを続け、独自の美学と世界観を確立してきた表現者が、このたび発表したのは書き下ろし長編小説。しかも「絵画をめぐるミステリー」だという。

ADVERTISEMENT

零の晩夏』。それは、こんな物語だ。

 モデルたちは誰ひとりこの世にいないという死神伝説がネット上で噂される写実画家〈ナユタ〉。美術雑誌の新米編集者・花音は、素性不明のこの画家の特集を担当することになるが、調べるほどに彼とその作品には、死の影がつきまとうことに気付くのだった――。

 このような物語を岩井俊二はなぜ、いま、書くに至ったのか。心を掻き立てる原動力は何だったのだろうか。(全2回の1回目。後編を読む)

岩井俊二さん ©文藝春秋

◆◆◆

画家・三重野慶さんとの出会い

 最初に想定していたのは、絵を描けなくなってしまった男が、壁のペンキ塗りをして暮らしていて、そこに主人公である女性が現れて、というラブストーリーでした。それほどサスペンス要素はなかったです。彼がどんな絵を描いたのか、どんな画家遍歴を辿ったのか、という段階に入った時に、予てやりたかった要素が次々吹き出して来たという感じで。

 学生時代に撮った自主映画があって。晩年、目が見えなくなった画家がいて、どうやって絵を描いていたのか?というのを、破門になった弟子と、新聞記者が追いかけるという物語で。それを作った頃は、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』や、漫画家の山田章博さんが大好きで、そんな作品にカブれて作った大正浪漫風の作品でした。絵というモチーフから、どこかであれを再現したいなという想いもありました。

 決定的にイメージが定まったのは、書籍のカバーにも掲載させていただいている画家・三重野慶さんに出会ってからです。

 たまたまTwitterのタイムラインに流れてきた三重野さんの作品を目にして、衝撃を受けたんです。女性が川に寝そべっている《言葉にする前のそのまま》という作品で、19世紀にジョン・エヴァレット・ミレイの描いた《オフィーリア》が現代に蘇って、元気よく起き上がってきたみたいに思えました。

 近頃こういう超写実絵画が人気なのは知っていましたけど、これほどの鮮烈さを感じさせる絵はなかったです。

「本当に写真そっくりだ」とか、そういうところに惹かれたわけじゃありません。そうではなくて、光の見方のようなものが、自分と似ていると直観的に思ったんです。自分が映像をつくるときに、目を凝らして見ている光と同じものが、絵の中にあったというか。それですごく親近感が湧きましたね。

関連記事