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「勝っても負けても地獄なら、勝つ地獄の方がいい」内村航平は、銀メダル・体操男子にとって“特別な存在”だった

橋本は「代わりに僕が鉄棒で獲って、航平さんの首に掛けたい」と語った

2021/07/27

「背中を見せれば後輩もついてくると考えていたけど」

「それまでは自分の背中を見せれば後輩もついてくると考えていたけど、自分の感覚を後輩に伝えるためには言葉が必要。感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいんですけど、でも何とか考えているうちに自分の思考も深まったのかな」

 そしてこうも言った。

「見ている人には、僕らが簡単そうに体操をこなしているように感じるかもしれないけど、実はすごく難しいことをやっているんです。その神髄を伝えるためにも、言葉を獲得しなくてはと考えました」

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 私が内村の言葉が面白いと思い始めたのは2017年、日本選手権個人総合で10連覇したときの言葉がきっかけだった。勝利の喜びではなく“地獄”という言葉で表現したからだ。

7月24日、体操予選の鉄棒で落下した内村航平 ©JMPA

「もう、地獄ですね…。負ける方が楽になると思っていたんですけど、勝ってしまったので」

 アスリートは誰もが勝利を目指してどんな艱難辛苦にも立ち向かい、内臓が焼け付くような厳しいトレーニングに耐え、身体や技を磨き続ける。長くて暗いその先には、栄光と称賛という人生の至福が待っているからだ。だが、至福を手にしたはずの内村は真逆の言葉を口にした。その言葉の意味がずっと気になっていた。しばらく経ったある日、内村にその真意を尋ねた。内村は一瞬、ニヤリとし矢継ぎ早に言葉をつないだ。

「連勝記録が途絶えれば、次からもっといい演技ができると考えていたのは事実ですが、でも、もし負けていたら絶対に口惜しさでいたたまれなくなっていたはずです。そんな中で、“地獄”という言葉が咄嗟に出たのは、リオ五輪後にプロになって以来、大きな環境の変化があり、練習が上手くできなかった不安、日本選手権では僅差の勝利でもあり、でもそんな状態でも勝ち続けなければならないと思ったりするなど、不安や苦難が何層にも堆積し、ついあんな言葉が出てしまいました」

 それだけではない。“地獄”の言葉にはさらなる深遠な心理が隠されていた。

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