2021年は「ヘア解禁」から30年。かつて日本では陰毛が「ご法度」扱いされた時代があった――。なぜ“下腹部に生えた体毛”は、ことさらに「猥褻」とされたのか?
アダルトメディアの歴史を研究するライターの安田理央氏は、その理由を探るため、美術もポルノもひっくるめた「陰毛表現の歴史」を3万2000年前までさかのぼり、徹底的に調べ上げた。ここでは『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イースト・プレス)より一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/#1から続く)
◆◆◆
裸体を描きたいという欲望
実はそれ以前にも裸体を描いた美術が皆無だったわけではなく、アダムとイブなど、聖書に出てくる場面を描くといった試みはかろうじて許されていた。
逆に言えば、そんな口実を使ってでも裸体を描きたいという欲望を芸術家たちは持っていたのだ。裸体はそれほどまでに、魅惑的なモチーフなのだろう。
それがルネッサンスの到来により解放されたのだ。長い間、追放されていたヴィーナスも多くの美術家により新たな生命を吹き込まれることとなった。
まず、前述のボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見てみよう。1482~1485年頃に描かれたこの絵は、ルネッサンス初期を代表する作品として有名であり、大手ファミリーレストラン「サイゼリヤ」の店内にレプリカが飾られていることでも知られている。ヴィーナスというと、巨大なホタテ貝の上に立つこの姿を思い浮かべる人も多いだろう。
宙を舞う風神ゼフュロスと、布を被せようとする季節の女神ホラに挟まれて立つヴィーナスは、頬を赤らめながら右手で乳房を、左手と長い栗色の髪で股間を隠している。顔立ちや体つきは、あきらかに少女のそれ(誕生したばかりだとすれば赤ん坊なのだが)であり、裸体を見られることを恥じらっているかのように見える。
紀元前4世紀のプラクシテレスによる「クニドスのアフロディテ」では、右手で股間を隠していただけだが、その後に作られた「カピトリーノのヴィーナス」や「メディチのヴィーナス」では、右手で乳房を、左手で股間を隠すというポーズをとっており、これは「恥じらいのヴィーナス」、あるいは「慎みのヴィーナス」と呼ばれるポーズとなる。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」もこのポーズをとっている。