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宮内庁長官の「拝察」発言とセットで文言変更を読むと…

 文言の変更は、新型コロナウイルスの感染拡大状況への自身の懸念とともに、象徴天皇制に与える傷への不安からなされたのではないか。つまり、国内向けの変更であった。西村泰彦宮内庁長官の「拝察」発言とセットでこの文言変更を読むことで、天皇の心配はより際立つ。その意味でも、長官は象徴天皇制を守るための危機管理として、自らが批判されることを恐れずに発言したのかもしれない。開会宣言の文案は政府やオリンピック委員会で決定され、天皇が自ら筆を執るわけではない。しかし、天皇の懸念は西村長官の「拝察」発言によって世間的に明らかとなり、政府が用意した文案にも影響したのではないか。

©JMPA

国際儀礼を果たすためにも、注意深くなされた「開会宣言」

 一方で、この東京オリンピックにおいて天皇は、国際儀礼上の役割を担ってもいる。オリンピック憲章の英文規程どおりの文言(celebrating)で開会宣言をしたのは、国際的な軋轢を生まないような配慮でもあった。もし英文までも変更すれば、海外にも大きな反響を呼び、問題化する危険性もある。それゆえ、対外的には「celebrating」と述べ変更していない旨を強調し、国内的には「祝い」を「記念する」と述べて配慮している姿勢を見せた。この開会宣言は象徴天皇としての国際儀礼を果たす点でも、注意深くなされたものと言えるだろう。

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 また、新型コロナウイルスの蔓延以降、植樹祭の出席など天皇の多くの儀式出席などの公務がリモートになっているなかで、このオリンピック開会式には出席したことも、国際儀礼上の意味があったからではないだろうか。もちろん、地方訪問をしなければならない儀式への出席とは異なり、東京都内の外出に留まるオリンピック開会式への出席ならば、リスクは少ない。無観客になったことでよりハードルは下がっただろう。しかし、天皇のワクチン接種はまだ1回しか済んでいない。感染のリスクはまだ高い。それにもかかわらずあえて開会式に出席して開会宣言を述べたのは、国際儀礼を重んじた結果ではないだろうか。これは象徴天皇におけるもう一つの柱を重視したのだろう。国民を意識するという国内的な役割だけではなく、国際儀礼を積極的に担う役割も、平成以後、象徴天皇制の柱となってきた。それを両方とも果たそうとしたのだろう。