日常で使う様々な言い回し。話していて、書いていて、ふとした瞬間に「あれ、これで言い方あっていたっけ……?」と疑念がよぎることはないだろうか。

 そんな日常で直面する「微妙におかしな日本語」について、『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年の神永曉氏が解説した『微妙におかしな日本語――ことばの結びつきの正解・不正解』より、一部を抜粋して引用する。

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「物議」とは世の人々の議論ということだが、「物議を醸す」の形で、世間の議論を引き起こすという意味で使われる。たとえば、「大臣の発言が物議を醸した」などと言う。

 ところがこれが、「物議を醸し出す」「物議を呼ぶ」「物議を起こす」という使い方をされることがある。これをどう考えるべきであろうか。

 文化庁が行った2011年(平成23年)度の「国語に関する世論調査」では、「物議を醸す」を使う人が58・0%、「物議を呼ぶ」を使う人が21・7%という結果が出ている。残念ながら「物議を醸し出す」「物議を起こす」の調査はないのだが、インターネットで検索するとけっこう引っかかるので、この言い方も着実に増えているものと思われる。

「醸す」は、麹を発酵させて、酒・醤油などをつくる、すなわち醸造するという意味で、そこから転じて、「物議を醸す」のような、ある状態・雰囲気などを生み出すという意味になったのである。

「醸し出す」は、ある気分や感じなどをそれとなく作り出すという意味である。意味としては「醸す」にかなり近い。国立国語研究所のコーパスで「…を醸し出す」を検索してみると、「雰囲気」とともに使われることが多い(約40%)。ちなみに「物議を醸し出す」はコーパスでは、3、4%あり、多くはないが、使われることもあるということがわかる。
※編集部注・コーパス:新聞、雑誌、本などに書かれている言葉を集めたデータベース

「物議を呼ぶ」はおそらく「論議を呼ぶ」との混同であろう。ただしけっこう古くから使われており、大仏次郎の

「この事件は王党の中でも保守的な人たちには軽率な事と物議を呼んだのであるが」(『ブウランジェ将軍の悲劇』1935~36年)

 という使用例がある。

 また、「物議を起こす」は、『日国』では正岡子規の

「いかがはしき店の記事にてありしため俄かに世間の物議を起し」(『病牀六尺』1902年)

 という例を引用している。

「物議を起こす」は、正岡子規以外の用例もけっこう見つかっている。「物議が起こる」という言い方もあって、これは『日国』にも「異論や紛争・もめごとが生じる」という意味で、子見出しとして立項されているのだが、それから生まれた言い方なのかもしれない。

 いずれにしてもこれらを見ると、「物議」は「醸す」とだけ結びついているわけではないことがわかる。「物議を醸し出す」「物議を呼ぶ」「物議を起こす」を誤用だと否定する根拠はないのかもしれない。