新米記者の好感持てるずうずうしさ
ここで宮崎でのこぼれ話を一つ。赤木雅子さんと宮崎に向かう際、私の携帯が鳴った。「共同通信のSです」と名乗るが、その名に覚えがない。「どこで会ったっけ?」と思っていたらすぐに明かしてくれた。
「2月に金曜ジャーナリズム塾で講演をして頂いた時にご挨拶しました」
雑誌「週刊金曜日」が、これからマスコミに入る学生を主な対象に講座を開講している。その一環で私も東京で講演を行った。その時に来ていた中央大学4年生の女性が「今年、共同通信に入るんです」と話していた。あの時のSさん、宮崎支局に配属になったのか。ご縁があるなあ。S記者は続けた。
「相澤さん、赤木雅子さんと一緒に宮日に来るんですよね」
その通りだが、そのことはよその人に伝えていない。
「どうして知ってるの?」
「クラブ(宮崎県庁の記者クラブ)で宮日の人が話していたんですよ。赤木雅子さんが相澤さんと一緒に来るって。それで、私も一緒に取材させてもらって構いませんか?」
「宮日さんがいいなら、構わないけど」
共同通信は特殊な位置づけにある。全国各地の地方紙に記事を配信するのが主な業務だから地方紙と関係が深く、共同の支局はたいてい各地の地元紙の本社内にある。宮崎でもそうだ。だから距離感が近く、「一緒に取材させてください」というお願いも通りやすいのだろう。かなりずうずうしい話だが、そういう強引さが私は好きである。私自身かなりずうずうしいし、そうでなければ記者は務まらないところがある。
そんなわけでS記者も宮日での取材に同席した。けれど、記事は出なかった。それもわかる。共同通信宮崎支局の仕事は、宮崎の話題を全国の他の地域に送り届けることだが、赤木雅子さんは宮崎の人々に自分の訴えを届けようとして来ている。だから宮崎日日新聞にとっては大きな記事になるが、共同通信にとってはそれだけでは記事として配信しづらい。こういう場合、何か一ひねり加えないと記事にならない。
私が赤木雅子さんを宮崎神宮参拝と大宮小学校の石碑に誘ったのは、その一ひねりを加えるため。宮崎にしかないこの要素を記事に書き込もうと、初めから想定していた。記者になりたて1年生のSさんも、そういう工夫をこれから身に着けていくだろう。我が故郷、宮崎を堪能してください。私が初任地・山口を堪能したように。