そもそも「記念する」への呼び換えは、別に五輪憲章の定める定型文に逆らったわけではなく、単に “celebrating” を意訳して日本語を替えた(*5)ものに過ぎない。これは天皇や皇室に限られた創意工夫ではなく、私たちが営んできた「戦後日本」が得意とするお家芸というべきであろう。
すなわち今回もいわば、わが国は五輪憲章を「解釈改憲」することで、対外公約と民意への配慮をぎりぎり両立させたわけだ。
憲法典を「儒教古典」のように使う国
世界のだれもが想定外だったコロナ禍に際して、にわかに「五輪憲章を書き換えてくれ」とはなかなか言いづらいので、この点では優れた判断であったろう。しかし、よく考えれば長期を見渡す議論を国民のあいだで成熟させ、必要なら「文言自体を書き換える」といった判断が自国の憲法典に関しても一貫してタブー視され、「文字面とは一見正反対にも解釈できるのです」といった技術ばかりが磨き上げられてきたのも、不思議な話だ。
この謎については、中国思想史家の小島毅氏による2008年の旧著に、興味深い示唆がある(『足利義満 消された日本国王』163頁)。儒教の伝統でいう「経学」とは、『論語』『礼記』などの古典書に記された文言自体は正しいことを前提として、そこから「解釈」という形で――時にはこじつけを含みつつ――同時代にも通用する教訓を読み出してゆく営みだが、これは存外に、戦後のわが国の憲法学にも近いというのだ。
コロナ禍での「自爆」で護憲派は滅亡
たとえばある人がカトリックの信仰を持ちつつ同性愛者であろうとする場合、「『聖書』の記述は間違っています」と言うわけにはいかないので、彼/彼女はむしろ「『聖書』のこの箇所は、読み方次第で同性愛を認めているとも解釈できます」と主張するだろう。実は同様の生き方を、世界戦争の記憶が刻み込まれた『日本国憲法』という古典に対して私たちは続けてきた(いる)わけだが、どうやらその命脈も、令和のコロナ禍に際して尽きつつあるらしい。
明文改憲によって憲法典に緊急事態条項を設けることの当否は、もちろん今後とも議論があってよい。しかし「憲法の文言自体を変えさせないためにこそ、“解釈改憲” でも危機に対応できることを示そう」などと唱えて、超法規的な自粛による私権の制限を容認し続けた「護憲派」なる存在は、もはや戦後昭和のような敬意を集めることは二度とない。
平成期に展開した保守派の改憲攻勢によってではなく、いわば令和初頭の「自爆」によって、彼らは歴史の掃き溜めへと自らを堕としていった。