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 一方で、コロナ禍の収束を見ないままの五輪強行で信用を失ったのは、保守勢力も同じだろう。国家主権の否定とすらみえたIOCの言動には異を唱えず、無観客試合でのメダルの獲得数に頼ってナショナリズムを誇ろうとする姿は、滑稽をきわめるものがある。

 三島由紀夫が戦後日本を酷評して述べた「週刊誌的天皇制」のひそみに倣えば、令和の右派論壇で主流を占めるのは「スポーツ実況的愛国主義」なのであろう。

©JMPA

令和の本質は「歴史の廃墟」

 戦後昭和の行き詰まりが実感されはじめたのは、高度経済成長が爛熟を迎えた1970年前後のことである。それこそ天皇信仰を再興しようとした三島から、マルクス経済学者が執政を担った革新自治体まで、左右を問わず多様な試みがなされたのは、その徴候だった。

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 その意味で、戦後を克服しようとする時代としての「平成」は、実は1970年代から始まっていたといっていい。逆にいえば2019年に幕を開けた令和とは、半世紀近くに及ぶそれらの挑戦がことごとく挫折した史実を、ふり返ることなく忘却へと追いやることで平穏を装う「歴史の廃墟」の別名である。

 たとえば2016年、前天皇(現上皇)が生前退位にむけた「おことば」(*6)を発して以来、大量に出現したにわか尊皇家たちは、いわば堕落した三島由紀夫のようなものだった。三島が心酔した戦前の青年将校はかつて、天皇崇拝を掲げて「君側の奸」を討つクーデターを本気で謀ったが、平成末の論壇人士が行ったのは気に入らない(が倒す見込みの立たない)目下の政権を叩ける便利な道具として、いわば「奸側の君」に群がって自身のプライドを満たす現状追認にすぎない。

 

斬新に見えた「平成の言論」も幼稚化

 その一部は令和のコロナ禍に際しても、新たな「奸側の君」を探してにわか疫学者となり、「政府の対応はダメだが、助言している専門家の先生はすばらしい」と称して自粛政策に邁進したが、こうした「劣化青年将校」に耳を貸す国民はもういない。彼らは批判もされないかわり、たんに時の経過とともに飽きられて消えてゆく。

 近刊『歴史なき時代に』でも詳述したが、かように歴史の記憶が消滅した社会で猖獗をきわめた、「データとテクノロジーですべてを解決する」と自称する平成の落とし子たちもまた、コロナ禍でその限界を露呈した。新規の陽性者数を下げるという「数字」にだけ拘泥し、無限にステイホームで暮らせるITサービスといった妄想を語る姿は、いまや中二病という呼称すら褒めすぎになるだろう幼児の域である。