人口が急増している東京都中央区で、奇妙な現象が発生していることが分かった。
2010年10月から約10年の人口増減を地区別に分析してみると、98の町丁目のうち20地区で減少していたのである。うち5地区は5割以上減っていた(浜離宮庭園は除く)。
その一つが日本橋茅場(かやば)町1丁目だ。この10年強で135人の住民が51人となり、人口は38%になった。(全3回の3回目/#1、#2から続く)
「平屋建ての民家が1軒もありません」
同地区の町会長、今野克彦さん(77)は「ここには平屋建ての民家が1軒もありません。住居をビルにして、そこに住んでいる人もいますが、51人もいるかなぁ。実際には他地区へ移り住み、仕事にだけ通って来ている人がいます。実は私もそのうちの1人。本拠はここだけど、夜は別の地区に帰ります。本当に茅場町1丁目に住んでいる町会の会員は5世帯ほどだと思います」と話す。
今野さんは日本橋茅場町1丁目の歴史を象徴するような人生を送ってきた。
生まれたのは中国の上海。父は貿易会社の駐在員で、京橋の八丁堀出身の母を伴って渡航した。だが、父には現地召集の赤紙が来て、兵隊に取られてしまった。母は赤ん坊の今野さんを抱えて取り残されたが、たまたま海軍の知人に会って、帰国船の手配をしてもらった。母は結婚前、海軍でタイプライターをしていたのである。
「帰国は1944年。もし海軍の知人に会わなかったら、母も私も命があったかどうか分かりません」と今野さんは話す。
帰国船でチフスにかかり、日本への上陸は遅れたが、母子は宮城県にある父の実家に身を寄せた。
米軍の空襲で焼け野原に
父は終戦後に大陸から引き揚げ、一家で東京に出た。そして茅場町1丁目の土地を買って小さな果物店を開いた。
「当時、この一帯は米軍の空襲で焼け野原になっていました。茅場町1丁目で残っていたのは、GHQ(連合国最高司令官総司令部)に接収された澁澤倉庫ぐらいでした。大河ドラマ『青天を衝け』の主人公、渋沢栄一さんが興した会社です。現在、澁澤倉庫が建てたオフィスビルには花王本社が入っています。
父は商売が好きだったんですね。交渉術にも長けていました。焼け跡の果物店では成り立たないので、日本橋の高島屋の地下の一角にも店を出しました。東京で唯一の地下鉄だった銀座線とつながる場所だったので人通りが多く、バナナが飛ぶように売れたそうです」
茅場町1丁目の店舗兼自宅の隣には、朝鮮人の一家が住んでいた。