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 さらに、灘出身の精神科医で、受験教育に関する著書も多い和田秀樹・国際医療福祉大学大学院教授の指摘によると、中学受験に問題があるという。灘の入学試験は、算数、理科、国語の三教科だが、開成や筑波大学附属駒場のそれはこの三科目に社会科が加わる。この頃から社会科を勉強するかどうかは、社会に対する興味や関心を高めるうえで極めて重要で、「社会科が課されると新聞をよく読むようになるが、灘出身者はその点に欠けて世事にい人が多い」というのである。

東大の敷地内で生まれた男

 もう1人、麻布出身の坂──。

 麻布は、1895(明治28)年、江原素六により麻布尋常中学校として、東洋英和学校の敷地内に設立された。こちらも灘と同じく、中高一貫教育の男子校。戦後の新学校制度が発足して以降、東大合格者数で上位十傑から落ちたことがない全国唯一の私立校として知られる。

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 坂は生来、都会派の雰囲気を身にまとっていた人物であった。生まれは、東京・文京区の向丘。東京大学とゆかりの深い地名であり、旧制一高の寮歌『嗚呼玉杯に花うけて』の一節に「向ヶ岡にそそり立つ、五寮の健児意気高し」と歌われるように、かつての東大の敷地内で生まれ、育っている。

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 小学校時代は学習院に通い、中学、高校と麻布で学び、現役で東大に合格した。小学校から大学まで歩んだコースといい、生まれ育ちといい、キャリア官僚になるべくしてなった人物といえないこともない。

 国際金融局投資第一課を振り出しに、同総務課課長補佐、ニューヨーク総領事館領事など主に国際畑を歩いた。帰国後は一転して国内畑に転じるが、消費税関連法案成立から導入まで、直接担当の主税局税制第二課の企画官として、税制改正への理解を求め関係者に説明して歩く坂の姿が印象に残っている。

 70年組の出世レースで、坂にスポットが当たったのは、同じ麻布出身の橋本龍太郎元首相との関係だった。消費税廃止運動が燃え上がった89年、橋本が蔵相に就任すると秘書官として仕えた。さらに7年後の96年に橋本が首相に上り詰めると首相秘書官に任命され、麻布コンビで首相を支えた。

 同じ中、高の先輩、後輩という立場で、周りからは色メガネで見られることもあるが、そこが坂のシティボーイたるゆえんなのか、同期の1人は当時の彼をこう評した。