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麻布は格好を気にする

「ほどよい距離感とでもいうのだろうか、橋本さんにべったりでもなく、離れすぎるわけでもなく、絶妙な関係を保っていたね。何事につけ軽妙さが彼のトレードマークだったが、そんな彼なりの芸風が秘書官時代に最も生きたように思う」

 財務官僚としては内閣府審議官で退官するが、その後、内閣官房副長官補や日本郵政副社長・社長などを歴任した。内閣府政策統括官時代、構造改革のあり方をめぐって竹中平蔵経済財政担当相と激しい火花を散らしたことは、今も財務省内で語り草になっている。 

 坂の生まれが東大のすぐ近くだったことは前に触れたが、実家は地方から修学旅行などで上京する、中、高校生のための学生旅館を営んでいた。そこに、高校生の頃宿泊したことのある同期がいた。富山高校在学中の細川で、模擬試験を受けるために上京した際に泊まったという。

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「その時、坂のお母さんと世間話をする機会があった。『うちの子は子供の頃、身体が弱くて心配だった』とか、『来年は息子も東大受験なのでよろしく』とか話したが、大蔵省で一緒になった時は妙な縁を感じたね」

©iStock.com

 のちに都会派と地方派で出世レースを繰り広げる坂と細川が、こんな接点を持っていたエピソードはちょっと心をなごませる。

 多少話が脱線したが、灘と同じく麻布それ自体の校風や教育方針に、いまだ次官ゼロを物語る何らかのネックが潜んでいるのか。こちらも麻布卒の関係者の証言を交えながら、真相に迫っていきたい。

 東京・港区の元麻布にキャンパスがあり、立地条件からして都会派の最たる学校といっていい。そのうえで関係者がほぼ口を揃えて指摘したのは、「都会派ニヒル」という斜に構えた表現であった。

「開成と比較するとわかりやすいが、開成は石にりついても、この難局を切り抜けようと必死に努力する。それに対して、麻布はスマートさを求めるというのか、格好を気にするというのか、必死になって頑張る姿を他人に見られたくないと考えがちだ」