平成28年6月20日。新神戸の駅で母と合流した私は、母が運転する車で葬儀が行われる東かがわ市へ向かった。今思えば、14年前に因縁がある新神戸駅から向かったことから、何かが始まり、ひいてはこの手記を書くことに原因となったのだろうか。
2時間後、式場に到着した私たちは、案内された親族席ではなく一番後ろの席に腰を下ろした。なるべく目立たないようにするためである。焼香の時間になり前に進むと、私にとって耐え難い光景が目に入って来た。一瞬で過去の出来事がフラッシュバックし、パニックになりかけた。
恭教と智香子が最前列の親族席に座っていたのだ。死体遺棄罪だけによる懲役2年2カ月の実刑判決を受け、出所したばかりの彼らが父たちと並んで、そこにいたのだ。
焼香を済ませると、私は一刻も早くこの場から去ることにした。彼らが参列するかもしれない、ということは事前に母から説明を受け、ある程度の心の準備はしてきたつもりだった。それでも実際に目の当たりすると、まるでフルスイングした金属バットで頭を殴られたような、衝撃を受けた。1秒でも早くここから去りたい。彼らにつかまりたくない。そう思った。
だが、私のそんな思いは無情にも届かなかった。式場の外に出て、車に乗り込もうとした直前で、私たちは彼らに囲まれた。
「久しぶりやな」
笑みを浮かべながら近づいてきた恭教は、私に向かってそう言った。蛇に睨まれた蛙のように、車のドアノブに手をかけたまま私は一歩も動けなかった。そんな状態の私を、彼が発した次の言葉が、行為が、追い討ちをかけた。
「悪かったな」
そう言うと、手を出し私に握手を求めてきた。私は差し出してきた手を握ってしまった。
いまも続く後悔と恐怖
私の中にある最後の糸が切れた。何かが崩れ落ちた。
私を2年間散々虐待したこと。加藤麻子さんを殺め、その遺体を山林に遺棄した罪を犯したこと。どれも、わるかったな、の6文字で済むものでは、到底ない。その上、笑みを浮かべながら握手を求めてきた。
俺を馬鹿にしてるんか? 俺をなめているんか? 握手した後、私は拳を作り、強く握りしめていた。それからのことは、あまり覚えていない。いつのまにか祖母も加わり、何か私に話していたが、記憶がない。気が付くと、母の車の助手席に座っていた。膝の上に置いた拳は、強く握ったままだった。
膝の上で強く握りしめた拳の上に、雫が一滴また一滴と落ちていった。
葬儀から帰った後の私は、酷く荒れていた。心も体も。恭教や智香子と会ったことから、過去の光景が、起きている時も寝ている時もフラッシュバックすることが度々あった。山手線のような各駅停車する列車にすら乗れなくなることもあった。
新幹線に乗ると理由もなく泣いてしまうこともあった。
私をこちら側に踏みとどまらせてくれた女性に、どんな時も私を支えてくれた女性に、無理難題をふっかけ、八つ当たりを、時には度を越したことをすることも多かった。
後悔、恐怖、憎悪、苦痛。その全てが私に襲い掛かっていた。それは、今でも続いている。
(平成30年7月25日記)
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