自身が経営する漫画喫茶スタッフの死体遺棄を認めた杉本夫妻。死体遺棄を行った二人には、当然傷害致死の疑いもかけられる。しかし、彼らは「黙秘」を貫き続け、受けた判決は懲役2年2カ月だった。
もちろん、黙秘は法律によって認められた被疑者の権利だ。しかし、黙秘によって事件の詳細が闇に葬り去られてしまうことがあるのもまた確か。ノンフィクションライターの藤井誠二氏は、真実を求める被害者遺族らの闘いを『加害者よ、死者のために真実を語れ』(潮出版社)に執筆した。ここでは同書の一部を抜粋。加害者親族が明かす痛ましい思いを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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叔父と叔母が人を殺して埋めたと聞かされた
中学2年になった頃、私(編集部注:漫画喫茶スタッフの死体遺棄を認めた杉本夫妻の甥)は学校にはほとんど行かず、フラフラと遊び歩いていた。理由は、中学の勉強についていけなくなり、学校に行くことがつまらなくなったからだ。俗に言う、不登校だ。反抗期だったこともあり、母には毎日のように楯突いていた。中学3年になった時には、学校には全く行かなくなっていた。勉強も全くできなかったので、当然行ける高校もなかった。そのため、進学することは考えていなかった。
中卒で働いて、母を助ける──当時の担任の教師に進学のことを聞かれた際、そう答えたこともあった。だが、こんな私でも入れそうな高校を、母が必死で探してきてくれた。周囲の説得や、父が学費を出す、という確約もあって、私はその高校に入学することになった。
高校2年になった平成24年の秋。始まりは、母からの一本の電話だった。
とんでもないことになった、今から学校まで行くから詳細は会って話す──それを聞いた時、また父親関係のことかな、と私は想像していたが、遠からずともその想像は当たっていた。私の通っていた高校は、校則として通常校外に出ることを禁じていた。だが、その日は母が直接学校に連絡をしていたため、特別に校外に出ることを許可された。放課後、高校まで来た母の車に乗り込み、とんでもないこと、について尋ねた。
恭教と智香子が人を殺し、その死体を山に埋めた──。
しばらくは、母から返ってきた言葉が信じられなかった。というよりは、信じたくなかった。それと同時に、ある一人の女性、一回しか話したことはないが、画面越しで眠たそうにしているのを何度も見たことがある、彼女のことが頭に浮かんだ。
まさか、と思いつつ、頭に浮かんだことを母にぶつけてみた。
「その殺された人の名前は、加藤さん、って女の人やないか?」
私が口にした名前を聞き、母は運転中にもかかわらず、驚きの表情を私に向けてきた。
「何で知ってるんや? 前から知ってるんか?」
「俺が預けられている時、俺と同じように虐められていた人や」
母の問いに、私はそう答えた。学校から20分程のところにある喫茶店に入り、事件について詳しいことを母の口から聞いた。母が高校に来る数日前の夜中、父が血相を変えて母の部屋に飛び込んで来た。
「二番目の弟から連絡が入った、恭教たちが人を殺した」
父の口からそのことを聞いても、母は驚かなかったそうだ。