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声優を目指す人は「真面目ですけど80点の子が多い」5歳から子役の松田洋治53歳が考える“役者として生き残る方法”

松田洋治さんインタビュー #3

2021/08/13
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5歳から現在まで俳優を続けられた理由

――『仮面ライダーアマゾン』の岡村まさひこ役なんて、学校で大騒ぎになったのではないですか?

松田 僕が俳優を続けていけたのは、もちろん両親の協力もありますけれども、それ以上に学校の友人に恵まれたからだと思っているんです。

 普通に考えたら、小学生で同級生が『仮面ライダー』に出ていたら大変なことじゃないですか。でも、僕の同級生たちは、ないことにするわけでもなく、ちやほやするわけでもなかった。『仮面ライダー』に出ているわけだから、それに触れないというのもまたおかしいじゃないですか。ごく自然に、クラスの仲間、友人として受け入れてくれたんです。

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 僕は小学校、中学校と公立だったんですけれども、その頃の友人たちには本当に感謝をしています。その影響があったのか、高校生になっても学校の友人とは変な距離ができたことがありません。今でも彼らとつながりがあります。子役の友人はできなかったですけどね。

©末永裕樹/文藝春秋

――ご友人が松田さんを自然に受け入れてくれたというのは、地元が撮影所の多かった砧だったことも関係していそうですね。

松田 特別ではないという感覚は、どこかにあったかもしれないです。学校の友人から自然に受け入れてもらったことで、芸能界を特殊と言うのであれば、その特殊な感覚に染まらないでずっとやってこられた。これまで俳優として生きてこられた理由でもあると思っているし、それは彼らのおかげだなと思っています。

――『仮面ライダーアマゾン』ではおやっさん(立花藤兵衛)を演じた小林昭二さんに車で家まで送ってもらったり、映画『どんぐりッ子』(76)で共演された森昌子さんとはロケ先の宿の同じ部屋で寝泊まりしたりと、現場でも可愛がられていたみたいですが。

松田 そこは計算していたんですよ。大人がどうすれば喜ぶかって。大人の求める子供というのを演じていたわけですね。嫌なガキです(笑)。僕からすると、忙しい子役が、大人びたり、生意気なことを言い出したりするのは逆に当たり前のこと、自然なんですよ。そうなってしまうものなんです。ある意味、そういう子のほうが素直で子供らしい。

“強烈”な少年シゲとカズを演じた『家族ゲーム』

――松田さんが出演されたテレビドラマとなると、長渕剛さんと共演した『家族ゲーム』(83)と『家族ゲームII』(84)は外せませんよね。それぞれで演じられた、冴えなくて、ひねくれた少年シゲとカズは強烈でした。これはどういった経緯で出演されたのですか?

松田 『家族ゲーム』はオーディションではなく、僕へのオファーでした。プロデューサーを務めていたのが、TBSの柳井満さん。『3年B組金八先生』をはじめとする『桜中学』シリーズ(79~11)、長渕さんの『親子ゲーム』(86)や『とんぼ』(88)などを手がけた方です。

 子役の頃、柳井さんがディレクター、石井ふく子先生がプロデューサーの『東芝日曜劇場』に出ていたんですよ。昔の東芝日曜劇場って一話完結の単発ドラマで、毎週のように何本も出演していたから、お互いによく知っていただいていたんです。

 柳井さん製作の前クールドラマが視聴率的な問題で打ち切りになった。でも、残りの話数の枠を埋めなきゃいけないというので『家族ゲーム』が作られ、僕が呼ばれたと。

©末永裕樹/文藝春秋

――だから、1作目は全6話と短かったんですね。

松田 次のクールのドラマ『青が散る』(83・石黒賢デビュー作)も進行していたから大慌てだったみたいで。長渕さんも、急遽なオファーだったようです。

――長渕さん演じる家庭教師の吉本剛に張り倒されていたカズとシゲですが、現場では長渕さんとはどんな距離感だったのでしょう。

松田 よく許してくれたなと思うぐらい、追いかけて、くっついていました。長渕さんがレコーディングするといえばスタジオ、ラジオに出るといったらラジオ局までついていって。ご自宅にもさんざんお邪魔しました。西武球場のライブの日なんて、長渕さんやミュージシャンの方たちが乗るバスに僕も乗り込んで会場入りしましたから(笑)。

――山田太一(※)さんが脚本を手がけた『深夜にようこそ』(86)にも出演されていますよね。松田さん演じる深夜のコンビニでバイトする大学生と、千葉真一さん扮する謎のバイト中年とのやりとりがなんとも印象深いというか。

(※)脚本家。『男たちの旅路』シリーズ(76〜82)や『岸辺のアルバム』(77)、『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(83〜97)など。

松田 17歳で出た『ブライトン・ビーチ回顧録』(85・青井陽治演出)という舞台のおかげで出演できたんです。それをプロデューサーやディレクターが見ていてくれて、声をかけてくれたと。たしか、山田先生もご覧になっていたと思いますけど。

 TBSの『金曜ドラマ』枠だったんですよね。当時の『金曜ドラマ』は“大人のドラマ”といった品と格があって、そこへ20歳そこそこにもかかわらずメインとして出演させていただけたのはすごく嬉しかったです。