俳優の松田洋治さん(53)は、5歳でデビューを果たし、人気ドラマ『家族ゲーム』シリーズの少年シゲとカズ役でお茶の間に衝撃を与えた。「子役の友人ができなかった」という松田さんだが、長いキャリアを築き、役者として“生き残る”ために考え続けてきたこととは。コロナ下で稽古を重ね、9月4日に開幕する話題作『近松心中物語』(KAAT神奈川芸術劇場)に出演する意気込みについても伺った。(全3回の3回目/#1#2を読む)

松田洋治さん ©末永裕樹/文藝春秋

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地元の砧や成城には撮影所がいっぱいあった

――5歳で劇団ひまわりに入団したそうですが、ご自身の意思で入られたのですか?

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松田 僕は当時、世田谷の砧に住んでいました。今でこそTMCスタジオ(東京メディアシティ)と東宝スタジオくらいですけど、昔の砧や成城には撮影所がいっぱいあったんですよ。尺が30分の子供向け実写ドラマや刑事ドラマがたくさん作られていて、スタジオだけじゃなくて我が家の近所でもしょっちゅうロケをやっていたんです。

 幼稚園くらいの時に公園で遊んでいると、『ケンちゃん』シリーズ(初代ケンちゃん・69~77、二代目ケンちゃん・77〜82)や『太陽にほえろ!』(72~86)なんかのロケ隊がやってくるわけです。それで「ちょっとごめんね」とクルーにどかされて遊べなくなるかわりに、ロケを見ていた。

――おおらかな時代ですね。

松田 そうなんです。僕は覚えていないのですが、『ケンちゃん』シリーズで主人公の初代ケンイチを演じていた宮脇康之(現・宮脇健)さんに「僕もやってみたい」と話しかけたそうです。『ケンちゃん』シリーズは人気番組で、宮脇さんは大スターだったにも関わらず、とてもいい方なので「こういうことをやるには児童劇団というところに入るんだ」と、そこらへんのガキンチョにすぎなかった僕に教えてくださった。

 うちは普通のサラリーマン家庭ですから、芸能界的なつながりは皆無でした。でも家に帰って、「児童劇団というところに入りたい」と親に伝えたら、やらせてみるかと。児童劇団のチラシの中で最初に目にとまった劇団ひまわりに応募した、という経緯みたいですね。

©末永裕樹/文藝春秋

――5歳で子役になって、もう7歳で『仮面ライダーアマゾン』(74~75)に出演するほどの売れっ子に。

松田 最初の1、2年はエキストラでしたけどね。ただ、家の近所には撮影所がいっぱいありましたから。「あの子は家が近いから」って、エキストラをやらせるにしても、どこの撮影所に放り込むにしても、劇団ひまわりからすれば便利な子役だったんです。

 それで次々と撮影所に行くようになって、初めてのレギュラーが『花王 愛の劇場』という昼メロ枠の『母の鈴』(74)。それが決まったのも、家から歩いて10分のところにあった国際放映という撮影所の作品だったからなんです。極端な話、子役のオーディションって、泣いちゃう子や言うことを聞かない子を外していけば、大差ないんですよね。で、僕の場合は「この子は撮影所にいちばん近いから」という決め手があった(笑)。撮影が遅くなっても、助監督さんが送っていけばいいですから。

――地理的条件で売れっ子に。

松田 そうです。それで『母の鈴』に出ているのを石井ふく子(※)先生が見てくださって、『はじめまして』(75)に招いていただいて……といった具合につながっていくんです。

(※)テレビ・プロデューサー。『肝っ玉かあさん』(68~72)、『ありがとう』(70~75)、『渡る世間は鬼ばかり』(90~19)など。