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「航平さんは、どんなに勝っても常に前に進む」

「中学の時に初めて会ったときは緊張して何も言えなかったけど、航平さんから話しかけてくれて色々アドバイスいただいた。ケガで五輪を諦めていた時も電話をいただいて、『気持ちを切らさなかったら絶対に戻ってこられるから』って。その言葉で生き返った」

 代表歴の長い萱や谷川は、橋本や北園以上に内村の薫陶を受けている。

 コロナ禍の前、何度かナショナルチームの合宿を見学したことがある。互いにライバルであるはずなのに「その技どうやってやるの?」「空中の感覚はどうなっている?」「そのひねり方教えて」などとワイワイ言葉を交わし、まるで小学生が校庭で逆上がりの練習をしているみたいに楽しそうだった。その中心にいたのはもちろん内村。当時一緒に練習していた田中佑典が顔を綻ばせた。

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萱和磨の平行棒 ©JMPA

「航平さんは、どんなに勝っても常に前に進む。僕らもこの時点で満足していられないと、また懸命に練習し高みを目指すんです」

 彼らの練習に目を凝らしていた体操ニッポンの水鳥寿思監督は、このチームは水鳥ジャパンではなく内村ジャパンにしたいと語り、選手たちはその方が伸びると語っていた。

「監督の仕事は選手が練習しやすい環境を作ること。それに今の選手たちの技が高度になって理解し難いこともある」

 水鳥監督はアテネ五輪で金メダルを獲得した男子団体のメンバー。それでも今の選手の技についていけないと苦笑い。

 その一方、水鳥監督はリオ五輪後、内村に言葉で伝える重要性も説いた。だが体操の空中感覚はなかなか言語化できない世界でもある。それでも内村は自分の感覚を言葉に転換する努力を重ねた。