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「美誠ちゃんは上手いから仕方ないと…」
「この差は何だろうと思いました。美誠ちゃんは上手いから仕方ないと、悔しさもわかない自分に愕然とした。代表の3人は五輪に出場するため懸命に挑んでいた。私にはその覚悟が足りなかったと気が付いたんです」
この苦い経験が少女を強靭なアスリートに変えた。技も見直し、守備型から攻撃型に変更。10年以上も体に染みついた卓球スタイルを変えるのは簡単ではなかったが、代表選考漏れの屈辱は後戻りを許さなかった。
リオ五輪から1年後、石川佳純に東京五輪までの意気込みを聞いたことがあった。彼女は向こう3年間で、中国との差をいかに縮め、並びえるかが日本卓球界の課題と語っていた。やはり中国の背中はまだそれほどまでに遠いのかと愕然としていた矢先、平野がアジア選手権で中国のトップ3ともいえる丁寧、朱雨玲、陳夢を次々に破り、優勝したというニュースが届いた。
この快挙は世界をも驚かせた。国際卓球連盟のHPには「ハリケーン・平野」の文字が躍った。勢いに乗った平野は、世界選手権でも日本女子では48年ぶりの銅メダルを獲得。17年はまさに平野が飛躍した年だった。
しかしその時、世間の注目をよそに平野はいたって冷静だった。
「私の敵は天狗になること。最近周りの人は褒めてばかり下さるんですけど、そのたびに伸びかけた鼻を自分で折っています」
この頃はよく、友人の池江璃花子とお茶したりショッピングに出かけていたらしい。