「まだ自分自身をコントロールできない。人生最高の思い出だ」
世界選手権は13年からの3年間で3、2、3階級を制し、日本勢の弱点だった81キロ級以上でも金メダルを獲得。内なる敵に勝つと、外へと目線を向けた。「対応力のない者は生き残れない」との考えで「JUDO」対策に乗り出し、ジョージアのチタオバ、ロシアのサンボ、モンゴル相撲や接近戦の沖縄角力に選手を触れさせた。
できることは全てやり、リオ五輪では2階級制覇を含む史上初の7階級全員メダルを達成する。「人生において無駄な試合など一つもない」との信条が大舞台で浸透し、当時38歳の指揮官は最終日の取材ゾーンで、
「素晴らしい選手、コーチ、スタッフに感謝の気持ちしかない。まだ自分自身をコントロールできない。人生最高の思い出だ」
と涙を流して声を震わせた。4年前とは全く違う涙だった。ただその夜にリオ市内のシュラスコ店で催された打ち上げでは、もう腹が据わっていた。祝福ムードに沸く席上、井上監督はスピーチで、
「皆さん、私はここがスタートだと思っています」
と、毅然と言い切った。
過去は変えられないが、未来は変えられる
就任からの4年間で敷いたレールを走りつつ、東京五輪までは新型コロナウイルス禍による1年延期や練習自粛期間などで戸惑った。それでも「各階級とも1極では駄目。2極、3極と層を厚くさせ、たえず選手に火をつけていく」との理念は生き、ライバルとの激しい代表争いを勝ち抜いた60キロ級の高藤直寿、66キロ級の阿部一二三(ともにパーク24)は精神的に成長。考えることを覚えた天才的な2人は今大会初日と第2日を制し、絶好のスタートダッシュで空前の金メダルラッシュを呼んだ。さらに勝利のみを追求して2連覇に失敗した自らの体験談を踏まえ、「負けること、最悪の状況を想定しつつ、一つ一つの課題をつぶす」という逆転の発想を前回覇者の大野に伝えた。
絶対的な強さを誇る第一人者も呼応し、稽古では自分が追い詰められた局面や苦手な体勢から始めるなど危機管理を徹底。盤石の強さで2連覇を成し遂げた。
リオ五輪までに成長したチームはこの5年間で成熟し、大輪の花を咲かせた。それは「過去は変えられないが、未来は変えられる。我々は変わらなければいけない」と進取の精神で先頭に立った井上監督の情熱の賜物だ。
コロナ禍で強化合宿を組めない期間も月に1、2度のオンラインミーティングを実施し、「今、この時代に闘える意義」を訴えかけ、明日という一日がやって来ることの尊さを自身も再確認した。
東京五輪最終日。日本柔道復活という大仕事を果たしたリーダーは、
「素晴らしい選手、支えてくれたスタッフとコーチ陣と共に戦わせてもらった。人生でかけがえのない経験をさせてもらった」
と男泣きに暮れた。
ロンドンが「後悔の涙」なら、リオは「歓喜の涙」。そして東京は「完遂の涙」か――。9年間、3000日以上に及ぶ「監督・井上康生」の長い旅は、金色に輝く真夏の終着地でゴールを迎えた。