7月31日の決勝でフランスに敗れた男女混合団体を終え、東京五輪の柔道競技は閉幕した。それは同時に、男子日本代表を率いた井上康生監督による9年間の闘いに終止符が打たれた瞬間でもあった。2期8年に五輪延期で1年が加わった全日本柔道連盟の規定による任期とはいえ、
「これで終わりだなんて…。何とも言えない。寂しいし、切ない」
男子73キロ級2連覇の大野将平(旭化成)が涙ながらにつぶやいた言葉は、「井上康生」という大きな船に乗って旅を続けた者たち全員の心境を物の見事に代弁していた。
今回、日本男子史上最多の「金メダル5個」
地元開催の五輪で日本男子史上最多の金メダル5個へと導き、43歳の指揮官は最高の集大成を果たした。ほんの約10年前には畳の場外際へ追いやられる危機に陥った「お家芸」を、畳のど真ん中に押し戻してみせた。別れの場となった聖地・日本武道館で、選手やコーチ陣の手で宙に3度舞った。地面に下りると、畳に顔を近づけて男泣きした。
「こんな素晴らしい選手たちと一緒に闘えたことを誇りに思う。これほどの幸せ者はいない」
万感の思いが詰まった3度の胴上げには、指導者として五輪で流した3回分の涙が凝縮されていた。
2012年、日本はこだわりと伝統に固執しすぎていた
2012年ロンドン五輪の屈辱が全ての原動力になった。日本男子はメダル4個を獲得しながら、史上初の金メダルゼロ。「常勝」が義務付けられる日本柔道にとっては惨敗だった。代表選考でふるいにかけるための実戦過多や、質より量の追い込み重視の練習方式で選手は疲弊していた。さらに海外勢は自国の格闘技を柔道に融合させた「JUDO」を日々進化させ、どこからでも技を繰り出すようになった。「正しく組んで一本を狙う」こだわりと伝統に固執しすぎた日本は世界の潮流に乗り遅れ、闘いの羅針盤を失ってしまった。
井上はこのロンドン五輪で重量級担当コーチを務めていた。英国留学を終え、五輪前年の11年から本格的にチームへ合流。強化方針に違和感を抱きながら、08年秋から発足した体制への途中加入では意見を言うのも難しかった。そしてロンドンの地で全ての頂点を逃す。会場では各国関係者から「コーセイ、日本はどうした? 大丈夫か?」などと声を掛けられ、前回メダルゼロから3階級制覇へとロシア代表を復活させたイタリア人のエツィオ・ガンバ監督の指摘に目が覚めた。
「コーセイ、外じゃないぞ。内を見ろ」
敵は己にあり、ということだった。