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「おかしいやろ。ワシらに人権はないんか」ドキュメンタリー番組の撮影で直面した“ヤクザのリアル”

『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』より #1

2021/08/21
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 ヤクザを主題にした作品では、彼らの人物像を“暴力に訴えてでも組織の秩序を重んじる無頼漢”として描くケースが多い。しかし、現実の彼らは「暴力団対策法」などのもとで人並みの暮らしを送ることさえ難しいのが現状だ。

 ここでは、東海テレビ番組プロデューサーとして『ヤクザと憲法』など、数々の名ドキュメンタリーを制作した阿武野勝彦氏の著書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(平凡社新書)より一部を抜粋。ヤクザたちの“リアル”について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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絶滅していくヤクザの実態

 もう、何年経っただろう。思い出すと、怒号と緊張ばかりだったが、最後に浮かぶのは、人に出会う醍醐味なのだ。ドキュメンタリーは、制作中の労苦とその後の満足の釣り合いが取れている仕事なのかもしれない。

 2019年暮れ。この作品は、東京・名古屋・大阪の映画館で、東海テレビドキュメンタリー劇場の連続上映の目玉としてスクリーンを飾った。

『ヤクザと憲法』

 放送基準のなかに反社会的勢力との接触を禁じた項目が明記されて以降、暴力団についての番組は、テレビから消えた。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。安心、安全、リスクなきテレビ番組……。

 山口組などの実態をNHKが散発的に放送していたが、それもなくなり、映画界の任俠モノも姿を消していった。右向け右、右へ倣へ。行儀のいい人々は、暴力団対策法、暴力団排除条例の精神に則って、ヤクザに近づくのを完全にやめた。見方を変えると、権力の線引きによって、はっきりと取材対象にタブーが生まれたのだ。私は、もともと関わることのない世界だと思っていたのだが、スタッフのなかに異分子が発生した。絶滅していくヤクザの実態を撮りたいと企画書を持ってくるディレクターがいたのだ。ごく自然に、「ドキュメンタリーの題材には、タブーはない」と言ってきた私には、門前払いする理由がなかった。

©iStock.com

「ワシらに人権はないんか」

 暑い夏だった。大阪・堺までガタゴト路面電車に揺られ、約束の街角に降り立つ。ずいぶん遠くへ来た、と思った。初対面の相手はなかなか現れない。誰が来るのか、どんな格好で来るのか、車で来るのか、それとも……。

 真夏の真っ昼間、太陽に照りつけられ、脳天が焼けてジリジリと音が出そうだ。

 しばらくすると黒塗りの車がやってきた。後部座席に誘われ、組事務所へ向かう。ほんの数分だったが、何を話したのか覚えていない。きっと時節柄の挨拶程度だったのだろうが、平常心でいられる自分にびっくりした。