「軽い気持ちで来てね。寝ちゃってもいいのよ」
ナレーションを収録した後、私は、映画にして広く観てもらいたいと思った。すぐに、『神宮希林 新春マックス』というタイトルで110分のバージョンを作り、それを映画版に転用しようと考えた。しかし、あんなに楽しそうにナレーションを入れたのに、映画化の話をすると希林さんの表情は一変した。テレビと映画……。この作品をどう解釈するか、考えているようだった。年明け、お年玉が届いた。
「映画にするには背骨がしっかりしていない。作品が饒舌すぎる……」
そして、とどめの一言があった。
「映画は、歴史に残るものだから」
希林さんの答えは、「映画化はノー」だった。しかし、ここで諦めず、もう一度推敲してみてはどうかと、希林さんと伊勢神宮の塩梅を考えながらテーマを深めてみた。結果、96分へとダウンサイズしたが、表現は鮮明になった。
編集したものを渋谷の希林邸に持ち込む。最終試写だ。ここでダメなら、映画化はない。それより、もうひと押ししたことで希林さんに見切りをつけられてしまうかもしれない。
「やっぱり映画は、やめて」
いつ、そう口が動くか……。
「あなたたちとは、もう仕事しない……」
映像を観ている希林さんの表情を見ていた。
「うん。いいわね。これなら少しはわかってくれるかもね」
すかさず、タイトルを提案した。『神宮希林 わたしの神様』と。
「そうね。いいんじゃない。『いきることにつかれたらねむりにきてください』って、ポスターの横に書くのは、どう?」
映画館に、寝に来る……? 私には、その意味が何のことかまったく理解できなかったが、映画化の同意をもらった安堵で、頭の中は空っぽになっていた。ただ最近になって、希林さんの気持ちが少しわかるようになった。「軽い気持ちで来てね。寝ちゃってもいいのよ」と自分を描いた映画に、恥じらいを表現したかったのだと思う。ただ、希林さんは映画の宣伝の席で、こうも言った。
「出版社から自叙伝を書いてと話が来るけど、これからは、この『神宮希林』があるから、書きませんって言える」