「見えないものの力」を纏った、女優・樹木希林
「東海テレビにしかない財産だから、希林さんの特番を作ってくださいと私に言いなさい」
八つ当たりもいいところだが、自分で自分の尻を叩くだけでは、足りなかったのだ。
也哉子さんからの返事を首を長くして待った。大きな母と破天荒な父を相次いで亡くし、まだ一年も経っていない。まして、今はイギリスでの生活だ。届かない返信を待ちながら、番組には也哉子さんとの旅が欠かせないと考え始めていた。希林さんと裕也さんのお葬式での喪主としての挨拶、そして『週刊文春WOMAN』の連載記事。也哉子さんの文章は、人の心を掴んでやまない特別なものがある。也哉子さんというナビゲーターが、希林さんの旅、希林さんの言葉をどう味わうかを表現したいと思った。
2019年10月。希林さん不在となったご自宅に也哉子さんを訪ねた。希林さんが息を引き取ったその場所で、ブラウン管のテレビで映像を観ながら、インタビューは2時間に及んだ。
かつての映像と也哉子さんの話を聞いているうちに、テーマが絞られていくのを感じた。それは、「見えないものの力」。すぐにわかりたがる時代へのメッセージが導き出されていく。
希林邸のリビングには、一枚の絵のレプリカが飾ってある。村上華岳の『太子樹下禅那』という作品だ。菩提樹の下で禅の修行をする若き釈迦が、淡い色調で描かれている。モノに執着のない希林さんが、この絵にはこだわった。京都現代美術館「何必館」の梶川芳友館長に、絵の複製の製作を依頼して自宅に迎え入れたくらいだ。番組は、この一枚の絵を軸に、「見えないものの力」と希林さんの謎を重ねながら進む。
希林さんとのたくさんの旅の中から、娘の也哉子さんを長野県上田市の「無言館」に、そして伊勢に誘い、最後は静岡県伊東市の歌人・岡野弘彦さんのご自宅へと足を延ばした。
也哉子さんは旅の終わりに、怒濤のような1年を振り返って、母を静かに弔う気持ちになれなかったこと、そして、旅を通じて、母ともう一度出会えたような気がすると話した。
私は、原稿を書いた。そして、ナレーターをお願いしたスタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんに託した。
「希林さんの謎。どうやら、一つもまともに解けません。ただ、こんなふうに言われているような……。感じること。すぐ答えを求めず、ゆっくり考えること。祈ること。心を空にして、ゆったり感じること……」
日々の暮らしと、ありのままを、希林さんは私たちの前で広げて見せてくれた。その晩年の姿は、とても真似のできるものではないが、少しでも近づきたいと思える人間存在だった。
女優、樹木希林。「見えないものの力」を纏った、大きな人だった。
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