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「私は女優よ~」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”

「私は女優よ~」密着撮影を担当した東海テレビプロデューサーが目の当たりにした樹木希林の“素顔”

『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』より #2

2021/08/21
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 希林さんは結局、三つのバージョンの『神宮希林』に付き合ってくれた。そしてそのたびに、吉永小百合さん、浅田美代子さん、本木雅弘さんたちに観せていた。希林さんは、その感想にいつも心が揺れているように思えた。リアクションを楽しそうに電話してくれる時もあれば、そうでない時もあった。ある時は少女のように笑いながら、ある時は厳しい母が叱咤するような……。一つ一つの揺らめきは、作品を世に出す迷いだけではなかった。それは、これまでにはなかった素顔の自分が描き出されていると感じていたからだと思うのだ。 

見えないものの力

 2019年秋、希林さんの日々をなぞるように、娘の内田也哉子さんと旅をした。その年のクリスマスの夜に『樹木希林の天国からコンニチワ』を放送するためだ。

『神宮希林』『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』全6本、そして『人生フルーツ』のナレーション出演から続いた『居酒屋ばあば』『ジブリとばあば』『ばあばとフルタチさん』など、番組を企画しては希林さんを旅に誘った。たくさんのロケをしたが、放送に載せられなかった場面がたくさんあった。

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 希林さんは、自叙伝や半生記は出さないと言っていたが、亡くなった後に出版された希林さんの言葉を集めた書籍は、記録的なベストセラーとなっていた。実は、未使用の放送素材をまとめるには、私の気持ちはまだ切り替わっていなかった。ぼんやり、3年ぐらい寝かせる時間が必要だと思っていたが、出版ラッシュに心が穏やかではいられなくなっていた。

 一周忌が近づくにつれて希林さんについての問い合わせが私にまで押し寄せたことが焦りに拍車をかけた。これは、紛れもないムーブメントだった。それでも、ご家族をそっとしておきたいとも思っていた。あれこれ迷った末、7月半ば、意を決して番組を作りたいと娘の也哉子さんにメールを送った。

 しかし、私の心の中では一番気の合う叔母を亡くしたようなグジュグジュが続いていた。その死を仕事にすることに割り切れないでいた。だが、タイミングを逸したテレビマンほど間抜けなものはない。編成部員に席まで来てもらって、なぜか説教をした。