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二人の男に言い寄られ、結果出家する浮舟は「自立した女性」

――他にジェンダー問題を先取りした作品として『源氏物語』を挙げているのには驚きました。

石井 『源氏物語』って端的にいうと“実家の太いプレイボーイが女たちを泣かせる話”でしょう(笑)。描かれる女性像も、たとえば「宇治十帖」のヒロイン浮舟なんて、二人の男から言い寄られますが、どっちつかずで主体性がなく、読んでいてイラッとすらしてしまう。あげく男を決めかねて出家してしまうのは、なんで? と。

 ところが角田光代さんが、登場人物のなかで浮舟だけが男性に何も期待していない、すべてを奪われても誰にも所有されない個としてあり続けた女性だと解釈していて、ハッとさせられました。たしかに、身分の高い経済的にめぐまれた男性が助けてくれる、という期待が彼女にはまったくないんですね。他にも花散里と光源氏の関係は〈セックスレスだけれども仲睦まじい〉現代的な関係と読み解いていたりして、非常に新鮮でした。

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 時代ごとに名著の読まれ方は変わります。谷崎潤一郎が読んだ源氏と、瀬戸内寂聴が読んだ源氏は当然異なりますし、いま角田光代さんはジェンダー、フェミニズムの視点から新たな魅力を浮き彫りにしている。優れた名著は読まれるたびにテキストとしての強度が増すことを実感しました。

「個の確立」には洋の東西を問わず、他者が重要な役割を果たす

――“他者との遭遇”という章立てで、国内外の近代文学を紹介していたのも興味深かったです。

石井 この章立てにしたのも、名著は単独で見るより横断的に比較すると、見えなかった繋がりに気づきやすいからです。

 たとえば、芥川龍之介『羅生門』の主人公は老婆という異質の他者に会うことによって、「急に近代人らしい内面を見せて〈個人〉に生まれ変わる面白さ」を、文芸評論家の阿部公彦さんが教えてくれました。かたやスタンダール『赤と黒』は、夫に従順なレナール夫人が「男よりもずっとパワフルで崇高な魂」を持つ存在になる“変身”を描いた小説として仏文学者・野崎歓さんは読み解く。

 つまり、近代小説における個の確立において、洋の東西を問わず、他者が重要な役割を果たしていることが分かります。

©️iStock.com

――意外な作品同士が並列化されていて新鮮ですね。

石井 さらにいうと、縦の比較でも思わぬ発見ができます。たとえばゲーテの『ファウスト』は恋愛譚の部分が有名ですが、実は「フィクションというお金が社会を動かすことを予見している」という重要なポイントを教えてくれたのが故・池内紀先生でした。ゲーテは財務局長を務めていたので、金(きん)などで作られた実体的なものでなくても、人々の期待や信用といった共同幻想で貨幣は成り立つことを見抜いていた。

『ファウスト』という色と金の物語が資本主義の本質を予見した一方で、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の項では、資本主義が生まれた背景に、勤勉と禁欲を押し進めるキリスト教精神があったことが分かります。〈極端に禁欲的な個人の倫理が極端に強欲な資本主義を生み出した〉ことをえぐり出したのは社会学者の大澤真幸さんです。

 そして資本主義はいかに労働者を強固に搾取するシステムとなったか、仲正昌樹さんのマルクス『資本論』の解説で、現代のグローバル化した資本主義の本質を理解できます。こうやってこのガイドブックで名著の縦糸・横糸の軸を俯瞰するだけでも、知のマッピングが出来てそうとう面白いと思います。