萩本欽一のドキュメンタリー映画「We Love Television?」が11月3日より公開された。これは「電波少年」のTプロデューサーで知られる土屋敏男が監督したもの。今週の文春には、その土屋敏男が「この人のスケジュール表」欄に登場し、裏話を語っている。

捨てることで新しい表現が生まれた「電波少年」

 ドキュメンタリーといえばカメラが人物を追うものだが、本作は違うようだ。萩本欽一に自撮り用のカメラを渡し、自分で自分を撮らせたと記事にはある。

人力車に乗る土屋敏男と萩本欽一 ©山元茂樹/文藝春秋

「今まで映画は監督やカメラマンが駆けつけないと始まらなかったけど、この手法なら本人さえいれば撮れるんです」

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 さすが土屋敏男。「電波少年」放送開始当時、肩に担ぐような大型のカメラで撮るのが当たり前の時代に、土屋はハンディカムでの撮影を決める。「当時は技術の人に『こんなの放送できるか!』ってすごい怒られたよ。画面は暗いしザラザラだしね」(TVBros.・2012年1/21-2/3号掲載の藤村忠寿・土屋敏男・西田二郎の鼎談より)  

 放送用機材で撮ることはオンエア・クオリティを守ることだが、それを捨てることで新しい表現が生まれもする。上記の鼎談によると、「水曜どうでしょう」も企画時に、局側から同じことを言われるが、「あの『電波少年』も手持ちのデジカメでやってますよ」と説得して、誕生したのだという。

萩本欽一 ©佐藤亘/文藝春秋

萩本欽一とは何者か

 今週の水道橋博士の連載コラム「週刊藝人春秋Diary」も萩本欽一である。題して「欽ちゃんはどこまでやるの!」。ここで水道橋博士は、萩本欽一の栄枯盛衰を整理しつつ、くだんのドキュメンタリーを引き合いに、萩本欽一とは何者かを問い直す。

 萩本欽一は1週間の視聴率の合計が100%を超えることから、「視聴率100%男」の異名を得るほどであったが、いっぽうで「『萩本欽一=いい人』の世評は広がり、本人はやがて、そこに搦め取られていった」。ここで“搦め取られていった”とするのは、コント55号時代はハチャメチャな芸風だったからだ。それがいつしか「いい人」となり、「微温湯のバラエティ」をお茶の間に届けるようになる。

 それを潰しにかかったのが、たけしである。

ビートたけし ©杉山秀樹/文藝春秋

 水道橋博士は言う。「我が師・ビートたけしは、日本バラエティ史において萩本欽一的な笑いに引導を渡した張本人である」

 たけし自身、「いい人」になった萩本欽一は「俺の性に合わないということがあって。もし萩本さんの番組がずっと続くようだったら、これお笑いの危機だと思ったわけ」とテレビ番組で述べている。(注)