たけしが「欽ちゃん」のことを「萩本さん」と語ったとき
80年代半ばのことだが、たけしが「欽ちゃん」のことを「萩本さん」と言っているのを聞いたとき、筆者はこころが冷える思いをした。あえて「さん」付けにすることで、現役の土俵にいない、過去のひとにしてしまったように感じ取れたからだ。
「さん」付けでいえば、「ジャイアント馬場から『馬場さん』に」という見出しが、柳澤健『1964年のジャイアント馬場』(双葉社)にある。ジャイアント馬場は、現役プロレスラーにして、動けずとも敬われる対象になっていく。柳澤健はそんな馬場を「隠居老人」と称し、こう続ける。「老人に強さを求めるのはおかしい。馬場さんは馬場さんでいてくれればそれでいい。観客はそう考えるようになった」。もっとも、たけしはオールナイトニッポンに「動け馬場」なるコーナーを設けるのであったが。
「馬場さん」と違って「萩本さん」は居場所を失う。これがテレビの世界の厳しさか。とはいえ、それほどの世界で頂点を極めた欽ちゃんである。コラムから一端を記せば「リハーサルは面白くないまま進める」、こうした視聴率「30%を取る奥義」を土屋敏男は映画の中で解き明かすのだという。
萩本欽一について、立川談志の場合
なお、コント55号時代は認めるたけしと異なり、立川談志はそれも認めない。水道橋博士はコラムでそんな談志の評、「逆にいやあ、談志なんぞに誉められなかったから萩本欽一の全盛があった」(立川談志『談志百選』講談社)を引く。一級の芸談である。
そういえば先週の文春で、弟子の立川談春が、石原慎太郎と親しくしながらも田中角栄には近づくことのなかった談志の言葉を紹介している。「本当の権力をおちょくるピエロは殺されるぞ」。これもまた一級の芸談である。籠池さん逮捕を目の当たりにした今ならなおさらのこと……。
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(注)戸部田誠『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)より