いったん違う言語をくぐって日本語を捉え直す
藤原 驚きのエピソードですが、やはり言葉の捉え方が新鮮なんですよね。私がドイツ語を学ぶときに先生に言われたのは、「ドイツ語を学ぶ理由は日本語を理解するためだ。いったん違う言語をくぐっておくとわかる」と。ブレイディさんは博多弁から出発して英語をくぐって、その後日本語を一から捉え直しているので、文章中の辞書の使い方ひとつとっても驚きにあふれています。慣れてしまうと、エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)とシンパシー(共感)の違いとか引っかからないですから。
現場から出てきた言葉しか信じない潔さと、自分が言葉と出会ったときの驚きをずっと持ち続けているという2点が非常にパワーのある文体を形作っているのでしょう。
ブレイディ 言葉に出会いながら書いているというのは本当にそうで、だから飽きずにこの稼業をやれているのかもしれません。「バーッと一息に書いてるでしょ?」ってよく言われるんですが、「ホントにこの言葉でいいのかな?」とか、「英語ならこうだけど日本語だとこうなのかな?」とか自分で言葉の意味を組み立てたりして、わりとつっかかりながら書いています。
サッチャーという言葉はどういう重みを持つのか
藤原 英語と日本語に出会い直す立ち位置から言葉に驚き続けていることは、ブレイディさんのすべての著作に共通するものだと思います。
さて、ここから本題ですが、『他者の靴を履く』で個人的に非常に面白かったのがサッチャーに関する記述です。新自由主義の旗手、鉄の女サッチャーは、実は身近な人のことはすごく親身になって心配する思いやりのある人だったことにびっくりしました。ある種モラルの人で、シンパシーや主婦的な愛があったことに。「地べた」で保育の経験をされてきたブレイディさんにとって、サッチャーという言葉はどういう重みを持つものなのでしょうか。
ブレイディ サッチャーに関しては、日本で聞いていたことと、渡英してからの人々の見方があまりにも違うことにビックリしました。日本ではサッチャーは強い意志で産業構造の改革をやり遂げた偉人とみなされていましたが、現地の多くの人は嫌っていました。「この国はサッチャーからおかしくなった」と言う。
私の周りには労働者階級の人が多いこともあって、彼らは炭鉱が閉鎖されたときの戦いなども鮮明に覚えてるんですね。「ゆりかごから墓場まで」の福祉時代の功罪を踏まえつつも、こんなにも地域のコミュニティを破壊し、個人主義の新自由主義の時代が始まったのはサッチャーからだと恨んでいる。