「ジャニーズで、それほど期待されていなかったSMAPを、時代を背負うスーパースターに育てたのは、まごう方なく飯島さんの手腕です。ジャニー氏の評価も高かったし、飯島さんもメリーさんをお手本に尊敬していたはずだったんですけどね。実の娘のジュリーさんが後を継ぐのは既定路線だったし、飯島さんはのれん分けか幹部として支えるものと見られていたので、この記事にテレビ関係者は仰天しましたよ」(テレビ関係者)
メリー氏がSMAPと飯島女史の排除に動いたワケ
飯島氏の名声と影響力が大きくなり、後継者にと考えていたジュリー氏の障害になりえると考えたのだろうか。メリー氏は飯島氏排除を始める。退社を覚悟した飯島女史にSMAPのメンバーが追随する決意をしたことで、事態は収束するかにみえた。
「ところが、メリーさんに可愛がられていた工藤静香(51)が夫の独立を反対したことで、木村拓哉(48)が翻意。2016年の正月明けに、飯島さんだけが追われるように退社し、SMAPのメンバーは謝罪に追い込まれました。
結局、2016年いっぱいでSMAPは解散。稲垣吾郎(47)、草彅剛(47)、香取慎吾(44)の3人が翌年9月に退所して、飯島女史と合流しました。木村は裏切り者呼ばわりされ、中居正広(49)は2020年3月いっぱいで退所しました」(前出・ワイドショー関係者)
“後始末”をすべてつけて他界したメリー氏
メリー氏の訃報の直後、木村はインスタグラムでメリー氏の名前を挙げることなく「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」とコメント。メリー氏との思い出が詰まっているハワイとワインの画像をアップ。工藤も白いゆりの花の写真をアップして追悼の意を表した。
他の元SMAPメンバーはコメントを発表していない。ちなみにメリー氏の亡くなった8月14日は、5年前にSMAP解散が発表された日でもある。
ジャニーズ事務所を育て、そして“後始末”をすべてつけて他界したメリー氏。毀誉褒貶はあるが、芸能界に残した足跡はあまりにも偉大だ。
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