近藤と並んでメリー氏の寵愛を受けたのが少年隊の東山紀之(54)だ。1985年の「仮面舞踏会」でのデビュー以来、常にスター街道を歩んできた。近藤の次にジュリー氏の婿候補に名が挙がったこともあり、一時期はジャニーズの後継者となるのではないかとも言われていた。
「少年隊」はメリー&ジャニー姉弟の共同作品
「2004年にジュリーさんが一般男性と結婚し、2010年には東山も木村佳乃(45)と結婚しました。最愛の弟であるジャニーさんが『最高傑作だった』と語る少年隊のなかでも、礼儀正しい東山は特にメリーさんのお気に入りでした。少年隊が1986年から2008年まで23年間続けたミュージカル『PLAYZONE』は、メリーさんがジャニーさんと一緒にプロデュースしています。少年隊はジャニー&メリーにとって、共同の“作品”なんです。
それ以降のタレントは、ジュリーさんや元SMAP担当だった飯島女史がメインで采配を振ったグループばかりですから、少年隊へは思い入れも深かったんでしょう。昨年暮れに錦織一清(56)と植草克秀(55)が退所した際にグループ名を残したのは、そういう事情があったようです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)
少年隊の面々は、こうした追悼コメントを発表している。
東山 「厳しいマネジャーであり、良き理解者であり、そして優しい母親でもありました。『私はタレントを守るためならいくらでも悪人になります』とおっしゃってました。若い頃からあまたアドバイスを頂いて、メリーさんのようになりたいと思っていました」
錦織 「私の人生の中の大切な火が、またひとつ消えてしまいました。40年以上もおそばにいて、それはそれは寛大で心優しい母でした」
植草 「芸能生活で、一生頭の上がらない方です。ずっと怒られていた思い出しかありませんが、それがあるから今の私がある」
そして、メリー氏が、功罪併せ持って一番大きな役割を果たしたのがSMAP騒動だろう。
2015年1月に天敵とも言える「週刊文春」のインタビュー取材をあえて受けたメリー氏だが、記者からの「ジャニーズに派閥はあるのか」という質問に激高。当時、SMAPをマネジメントしていた飯島女史を呼び付けて罵倒し、「ジャニーズのトップは近藤真彦。事務所をお辞めなさい」と叱責した。