リハビリ中に知ったパラサイクリングが目標に
退院すら難しいと言われていたが、驚異的な回復を見せ、自宅に戻れた。そうなると、「もう自転車には乗れない」という医師の意見も覆してみたくなった。
「『いけんじゃない?』と思って、家の近くの車が来ない道で試してみたら乗れました。うまく曲がれなくてぶつかったりもするんですけど。うれしかったですね。乗れたぁ、気持ちいいって」
脳の左側にダメージを負ったせいで、右半身が不自由になった。洗濯物を干そうとして腕を伸ばすと、右だけが上がらない。機能は徐々に回復したが、いまも右半身は初動が鈍いという。
「あと、物を持って歩くのもちょっと難しいです。(杖や手すりなど)持つところがないと、歩くのが怖い感じはあります。どう歩いていいかわからないというか……」
リハビリに取り組んでいたころ、パラサイクリングの存在を知った。レースに出ることが目標になった。
40代後半にして東京パラリンピックの金メダル候補へ
2016年4月の事故から1年足らずで自転車ロードレースの国内大会に参加。2017年9月には、パラサイクリングの日本代表選手として、南アフリカで開催されたロード世界選手権に出場した。
杉浦はその大会のタイムトライアルで、金メダルを獲得する。パラサイクリングの世界のトップ戦線にいっきに躍り出た。
トライアスロンを楽しんでいた薬剤師から、東京パラリンピックの金メダル候補へ。40代後半にして一変したステージの上を、杉浦は歩んできた。
「ちょっと信じられなくて」という言葉は本音だろう。
「私、すごい暗い性格なんです。あか抜けないし、ダサい。暗いところでひっそり薬をつくってるのが好きだったのに。だから……そう、さかなクンみたいな感じ。薬のことになると別人になるねってよく言われるんです」
設定された目標がギリギリであるほど意欲が湧いた
いまは自転車一本の生活を送る。かつての薬のように、自転車が心のよりどころになっているのだろうか。
そんな質問には、こう答えた。
「自転車に関しては、すべてコーチにお任せしています。毎日、言われたメニューをきちんとこなすことが大好きです」
彼女の性分なのだろう。事故の前から、トライアスロンの練習では設定タイムを切ることに燃えていた。入院中の計算ドリルも、タイムを測って取り組んだ。設定された目標が、できるかできないかのギリギリであればあるほど、意欲が湧いた。与えられたタスクをクリアすること。縮んだタイムを指標にして成長を確かめること。それが何よりも強力な動力源なのだ。